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zoom RSS 箕輪初心●長崎【島原城&原城】=島原の乱

<<   作成日時 : 2011/10/02 07:23   >>

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大学4年生卒業旅行(★おいらは留年)は、吹奏楽部の
仲間の家を泊まりながらの旅行である。長崎には3泊した。
私の城巡りと雲仙岳の意見を取り入れ、長崎の里君&仲間は、
島原半島旅行を計画したのだった。そして、里君の車で、
雲仙岳登山→雲仙温泉入湯後、島原城に向かった。

■訪問記・・・昭和51年(1976)3月中旬
★「島原城はでかかった。」くらいの記憶しかない。
画像

 (★日本の城写真・・・中井均先生、箕輪城に来たときに
  少し説明させていただいた者です。使わせていただきました。)
★大学時代に合宿・全国大会などで、明石城・丸亀城・吉田城・
名古屋城・甲府城・鶴岡城などに行っている。大学の頃は写真にあまり
興味はなかった。だから、写真はあまりない。
画像


島原城の歴史
・元和2年(1616) 有馬直純が日向国:延岡藩に転封。
        →松倉重政が大和五条二見から4万石で入封。
有馬氏の居城:日野江城に入城。
・元和4年(1618) 日野江城→島原森岳に島原城を築城開始。
・寛永元年(1624) 島原城が完成。
・寛永14〜15年(1637〜38) 初代重政、2代勝家(重治)の圧政
   =島原城築城の苛酷な夫役・重税とキリシタン弾圧
→島原の乱が勃発。
   松倉勝家は領内を騒乱に導いた責により斬首。松倉氏は改易。
・寛永15年(1638) 高力忠房が遠江浜松より4万石で入封。
   高力忠房は、島原の復興とキリシタン弾圧の強化の使命をおびていた。 
・寛文9年(1669) 2代高長は、暴政を行ったことにより改易
         深溝松平忠房が丹波福知山から65,900石で入封。
  →松平氏は5代続いた後下野宇都宮に転封
    →戸田氏が入れ替わって2代居城
・安永3年)1774) 松平氏が復帰。
    →以降松平氏が8代続いて明治に至った。
・明治4年(1871) 廃藩置県→島原県。知事は松平(深溝)氏。
・明治7年(1874) 廃城令により、廃城処分。土地の民間に払い下げ。
・明治9年(1876) 天守以下建造物が破却。
   本丸は畑地。三の丸には島原中学(現島原高校)。
・昭和35年(1960) 西櫓復元。
・昭和39年(1964) 天守復元=歴史資料館。
         キリシタン資料・藩政時代の資料を展示
・昭和47年(1972 巽櫓復元。★この後に、箕輪初心は登城。
・昭和55年(1980) 丑寅櫓・長塀復元。※丑寅櫓は西望記念館。
・平成8年(1996) 雲仙普賢岳噴火災害の「観光復興記念館」開館。
・平成18年(2006) 日本100名城91番に選定..
(★百名城・日本の城・島原市観光課Hpなどを参考に作成)


→島原城見物後、島原半周。
長崎への帰り道で、原城に寄った。

原城・・・
有明海に面した岬を利用した長崎県下最大の平山城であったそうだ。
海水が城の周囲の堀の代わりをしている。水城ほどではないが・・・。
南に流れる川が入江を作っている。
東側は断崖絶壁である。・・・つまり、天然の要害である。
本丸には天守閣が建っていたという。・・・。


@天草四郎時貞・・・私の歴史上の人物イメージは天才少年
 :天草四郎という格好いいイメージがある。今流でいうところの
 「いけめん」「カリスマ的存在」に相当するのだろうか?
 子どもの頃の読んだ本の判官贔屓的な要素があったと思われる。
A島原の乱・・私の歴史的イメージはキリスト教の弾圧への反動で
 あると思っていたであろう。天正の遣欧使節団とダブル。


島原の乱・・・正確には、「島原・天草の乱」と呼ぶらしい。
一般的は「キリシタンの宗教戦争」か「百姓一揆」という見方が
強いかもしれない。    
@島原藩:松倉勝家・・・キリシタンの暴動。
目的:自分の失政(強制労働・過酷な年貢など)を隠すため
A江戸幕府・・・「島原の乱=キリシタンの反乱(宗教戦争)」
   目的:島原の乱をキリシタン弾圧の口実にしたいため
A反乱者側・・・有馬・小西両家に仕えた浪人→農民化
        土着領主である天草氏・志岐氏の一族→農民化
農民=多くはキリスト教信者
※「島原の乱は、重税を課した領主への不満と信仰を弾圧されることへの
 反抗という民衆の悲痛な思いが込められたレジスタンスであった。」
 と本には書いてあった。
画像

   (★地図で訪ねる歴史の舞台より)

島原の乱 寛永14年(1637)10月25日〜寛永15年(1638)2月28日
@「島原の乱」発生前の状況
島原藩主:松倉重政&勝家父子は島原城築城により財政が逼迫した。
そのため、強制労働・高い年貢&過酷なキリシタン弾圧を行った。
過酷な取立てに耐えかねた島原の領民は、指導的な立場に立っていた
旧有馬氏家臣の下に密かに反乱計画を立てていた。
肥後天草でも小西行長・佐々成政・加藤忠広の改易により大量に発生
していた浪人を中心にして一揆が組織されていた。

A島原の乱の勃発と天草の乱への拡大
10月25日(太陽暦12月11日)有馬村のキリシタンが中心となって
代官所に強談に赴き、代官:林兵左衛門を殺害した。
島原の乱が勃発したことにより、百姓一揆となり、島原城を攻撃した。
一揆は島原半島から天草にも飛び火し、天草四郎を大将とする一揆軍は
本渡城を攻撃した。富岡城代:三宅重利(明智秀満の子)を討ち取った。
続いて一揆軍は唐津藩兵が篭る富岡城を攻撃した。
幕府側の九州諸藩の討伐軍が近づいている事を知った一揆軍は撤退した。
島原・天草の一揆の首謀者達は湯島(談合島)で小西行長家臣の
天草四郎(本名:益田四郎時貞16歳、天草は旧領主時代の豪族名)を
一揆軍の総大将とし決起することを決めた。
天草四郎はキリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていたからである。

B島原・天草の乱の進展
天草の一揆軍は有明海を渡って島原半島の廃城:原城址で合流した。
12月3日総大将の天草四郎も入城した。
島原と天草の一揆勢は37,000人程であったといわれる(伝)。
島原側はほとんどの領民2万3000余人、天草側からは1万4000余人が
参加した(伝)。
既に、一揆軍には各自が持ち寄った食料と口之津村の松前家の蔵から奪った
米5000石、鉄砲500挺余りと弾薬を原城内にあった。
天草四郎は討伐軍の攻撃に備え籠城戦をとると決定した。

C島原・天草の乱の幕府の対応
乱の状況を知った幕府は、御書院番頭であった板倉重昌を派遣した。
板倉重昌に率いられた九州諸藩による討伐軍は原城を包囲した。
12月10日、20日に総攻撃を行った。ことごとく敗走させられた。
幕府は、2人目に老中:松平伊豆守信綱らの派遣を決定した。

寛永15年1月1日(1638年2月14日)板倉重昌は討ち死に。
攻撃は失敗した。討伐軍の死傷者は4,000人以上であった(伝)。
松平信綱率いる討伐軍は12万以上の軍勢で陸と海から原城を包囲した。
側衆:中根正盛は、与力20余騎で一揆の動きを詳細に調べさせ、
甲賀忍者の一隊には原城内に潜入させた。
松平信綱は兵糧攻めにした。

一揆の群衆は3か月に及ぶ籠城には弾薬・兵糧が尽き果てた。

2月21日 一揆軍は兵糧や弾薬を奪うために4000の軍勢で、黒田・
鍋島・有馬などの陣中に夜襲をかけた。
松平信綱は、討ち死にした兵の死骸の腹を割り、食料の欠乏を
確認した。鍋島勢が抜け駆けして攻撃を開始したため、ついに
強攻策を決断する。

D島原・天草の乱の結末
寛永15年(1638)2月27日〜28日(太陽暦4月11日〜12日)
  総攻撃で一揆軍を壊滅。原城は落城。
  →老若男女の関係なく全員の殺害。
  →原城の徹底破壊。
  →島原藩主:松倉勝家は斬首刑。

島原の乱は徳川幕府が鎖国体制を確立する基盤となった。

(★まんが日本史・まんが天草四郎時貞など
  ・島原の乱 (中公新書) 神田千里著など)
 
島原・天草の乱の原因には、まだまだ疑問が残っている。
@江戸幕府によるキリシタン弾圧
A領主による強制労働&重税などの悪政。とされる。
しかし、蜂起した人々は、全員が熱心なキリシタンだったのか?
    2つの原因はどちらが主たるものなのか?
    2つの原因はどのような関係にあるのか?
 旧有馬や旧小西の不平浪士が反乱を先導したのではないか?


原城の歴史
・明応5年(1496) 日野江城の支城として有馬貴純によって築城。
    本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成。
・元和2年(1616) 有馬直純が日向国:延岡藩に転封。
        →松倉重政が大和五条二見から4万石で
有馬氏の居城:日野江城に入城。
・元和4年(1618) 日野江城→島原森岳に島原城を築城開始。
         ※一国一城令のため、原城が廃城。
         →石垣や構築物も転用(伝)。
・寛永元年(1624) 島原城が完成。
・寛永14〜15年(1637〜38) 初代重政、2代勝家(重治)の圧政
   =島原城築城の苛酷な夫役・重税とキリシタン弾圧
→島原の乱が勃発。
   松倉勝家は領内を騒乱の責により斬首。松倉氏は改易。
   →幕府は原城跡の石塁などの破却。
・昭和55年(1980)
★この時に、箕輪初心は登城
・昭和13年(1938年)原城跡は国史に指定。
  ※発掘調査・・・鉛の弾丸やクルスなどが出土。
 (★日本の名城・日本の城など)

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