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zoom RSS 箕輪初心■世界遺産:小笠原@「歴史」

<<   作成日時 : 2011/08/27 12:17   >>

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平成23年(2011)8月18日〜26日の小笠原の父島・母島に9日間の
旅行に行ってきた。目的は世界遺産として見られる物&ダイビングである。

小笠原の歴史
・5000万年前・・・火山隆起 枕状溶岩。
・3万年前?・・・南島・ジョンビーチの生成=沈下石灰岩
   ※珊瑚の死骸が蓄積→石灰岩化・石灰岩→隆起→降雨・風化→
    鍾乳洞化→地面が陥没=扇湾・鮫湾など
   (★ダイビングで一緒だった小笠原小学校長:大滝氏の説明)   
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(★世界遺産の南島水域・・・1日100人でガイドが必要)

・文禄2年(1593) 小笠原長時の曾孫:貞頼が発見した。(伝)
「松本城主:小笠原貞頼の姉は豪商:茶屋四郎次郎に嫁いでいて、
 小笠原貞頼は茶屋をバックボーンとし、茶屋の船に乗り込み、
海外交易をたくらんだ。」のようなことが山口氏に本に書いてあった。
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★信濃小笠原長時→3男:貞慶→本家:秀政の弟:忠知吉田城
 →長政→長氏→小笠原宗長弟:小笠原長頼
・・・・三河吉田藩主:忠知系小笠原家3代目。小笠原長矩が別名。
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 ★松本城の補足説明 
 ・永正年間・・・小笠原長時は林城(松本市林・・・松本城南東5km?)築城・
          深志城は小さな支城に過ぎなかった。
   ・武田信玄の侵攻・・・武田家臣:馬場美濃守が拡大。内藤昌豊の入城。
 ・天正10年(1582)武田氏滅亡。
   徳川家康の配下となった小笠原貞慶が旧領を回復し、松本城と改名。
 ・天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原の役
   徳川家の関東移封。松本城主:小笠原秀政も下総古河へと移封。
   石川数正が入城。石川数正とその子康長が天守・城下町を整備。
 ・慶長18年(1613) 大久保長安事件・・・石川康長が改易。
   小笠原秀政が復帰。
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 ★私見・・・豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加しようとし、物資を運ぶ途中
に小笠原に漂流してしてしまったとみる方が時代背景から、より説明が
つくのではないだろうか?
と、思っていたら、違っていた。
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(★小笠原神社の「無人島発見之碑」)

・寛文10年(1670)紀州のみかん船が母島に漂着→下田奉行所に報告
         阿波野の漁師とも?(*別のパンフ)
50日滞在し、船を修理。

・延宝3年(1675) 江戸幕府の調査・・・「無人島」。
 嶋谷市左衛門一行38名の探検隊が地図を作成。
※小笠原宮内(貞頼子孫)は「俺の先祖の島だから、
連れて行け。」と頼んだ。大岡越前はOKしたが、
幕府は、理由不届きで咎を課した。

・天明5年(1825) 日本では「林子平」が父島を紹介した。
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・文政9年(1826) イギリス捕鯨船の乗組員2名が父島に残留。
ヨーロッパでは、無人→「BONIN」と紹介。

  
・文政13年(1830) 欧米人&ハワイ人5人+カナカ人=20数人が在住。
ナサニエル・セーボレーらが定着住人の最初。
畑作・・・ヤギ・アオウミガメを食べる。
※捕鯨船との交易が目的・・薪・水・食糧

・嘉永7年(1853) ペリーが沖縄→小笠原→浦賀・・・
ペリーはアメリカ人がいたことで、うれしかった。
「アメリカの領土となると思ったからである。
 そして、石炭備蓄基地の土地を購入した。」
         (★ペリー航海日誌)
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・安政7年(1860) 日本からの移民開始。(★パンフでの記述。変?)

・文久2年(1861) 12月 調査命令。
    ※調査は名目で、幕府は日本への強制奪還を狙った。
 12月29日  「咸臨丸」での探検・調査隊を派遣。
外国奉行:水野忠徳・小花作助・通詞:中浜万次郎・・総勢90名。
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・文久2年(1862)
    ・ しかし、水野はセーボレー、トーマス・ウエッブ、
  ジョージ・ホートンなどと穏やかに交渉した。
「日本領土なので、手続きは必要だが、生活は束縛しない。」
という契約書を日本語と英語で取り交わした。
    通詞:中浜万次郎の活躍と言える。
    ・セーボレーのアヒルが盗すまれた時、犯人が
 見つからず、4$を払った。
 ▲旭山267mの山頂に旭日旗を立てた。領土宣言。
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 ☆父島に、咸臨丸の墓地がある。
  西川倍太郎(咸臨丸の操縦士長の墓)1月に死亡。
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(★咸臨丸の墓の看板)
 ■扇浦に「日本政府?仮説所」を設置。
小花作助(木曽福島出身)
 ■扇浦に「小笠原にいはりの碑」を建立。
 ■母島に行き、
母島でイギリス人?:ジェームズ・モートレーとドイツ人:
フレデリック・ロースと会談した
母島も日本の領土とし、好きに生活してよいという契約をとりつけた。
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 (★ロースの家)
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(★ジェームズ・モートレー夫妻の墓&ロースの墓)
3月9日 帰路・・・

3月17日 朝陽丸で、八丈島からの38名の移民
(現地案内板では3月17日、パンフレットでは8月26日)
3月25日 平野船入港
         墓の建立・・・寛文年間(1695~)の死亡者の墓
本土帰国→イギリス人:オールコックとの話し合い。
父島でのイギリス人の居住区を認める。

・文久3年(1863) ジョン万次郎は捕鯨許可願いを申請。

  5月13日 生麦事件等政情不安のため、朝陽丸で全員帰国。

・明治8年(1875) →政府の日本領土宣言。
 明治政府の田辺太一・小浜作助の派遣。
八丈島などからの移民・・→5000人。
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     (★扇浦の小花作助の官舎跡)

・明治9年(1876) 内務省小笠原の長官:小花作助は就任。
国際的に小笠原が日本の領土と確認された。

・明治10年(1877) 移民開拓の再開。・・・畑作
「開拓小笠原の碑」建立。

・明治13年(1880) 東京府小笠原出張所長官:小花作助着任。

・明治15年(1882) 先住の外国人が全員帰化=日本人となる。

・明治18年(1885) 定期船が就航。

・明治20年(1887) さとうきび栽培

・大正12年(1923) 日本の捕鯨会社が父島を拠点に創業。

・大正末期     大火事・・・→再建。
 @カボチャなどの野菜の出荷
 A漁業・・マグロ・カツオ、珊瑚・ウミガメ出荷

・昭和2年(1927)  7月30日 昭和天皇の御幸・・父島・母島

・昭和7年(1933) 小笠原に軍事施設が造られ始めた。

・昭和15年(1940) 硫黄島も含め、人口70000人
父島・・・4302人
母島・・・1905人
硫黄島・・1164人
その他・・・64人

・戦争中・・・・・・サイパン・トラック・パラオなどの中継地
=軍事要塞 ※戦局悪化・・

・昭和19年(1944) 8月4日 大空襲
           島民の強制疎開。6886人の避難
 軍の関係者826人は残留。
       9月22日 第41代アメリカ大統領:ブッシュが父島攻撃に参加。
         日本の高射砲で海に墜落→飛行機から脱出→潜水艦に救助。
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    (★母島101高地の高射砲) 

・昭和20年(1945)
   2月16日 アメリカ軍の硫黄島上陸作戦
   3月27日 250km離れた硫黄島で戦争→日本軍全滅。
日本人21900人戦死。アメリカ人6821人戦死。
※遺骨収集は半分弱しか進んでいない。
★映画「硫黄島からの手紙」参考

     母島では、軍隊の中で、食料の奪い合い。農家からの略奪。
       気が狂った者、餓死者。自殺者が増加した。
    (★母島の戦争体験記録より)      
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    (★母島の兵舎跡)  
   8月15日 終戦=・・・
   10月3日 父島・母島にアメリカ軍500人が上陸。
          アメリカの領土・・23年間〜〜

・昭和21年(1946) 欧米系の島民126人が帰島
・昭和22年(1947) 小学校設立→グアムの高校へ
・昭和35年(1960) 父島はチリ地震で被害。
・昭和43年(1968) アメリカから返還。・・・島民の帰島。
    小笠原村設置。
・昭和46年(1971) 父島=母島間の公用連絡船が就航。
・昭和47年(1972) 東京=父島間の連絡船が就航。
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・昭和51年(1976) 父島=母島間の連絡船が就航。
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・昭和54年(1979) 村政の確立。
・昭和63年(1988) 捕鯨禁止・・・
          ホェール・ウオッチング開始。
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・平成15年(2003) 世界遺産候補地
・平成19年(2007) 暫定リスト
・平成22年(2010) 現地調査
・平成23年(2011) 6月 世界遺産
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  (★買った本)
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  (★戴いたパンフレット)

(★参考文献・・・小笠原クロニクル:山口遼子著890円・パンフ3種)



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