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zoom RSS ★箕輪初心■小栗上野介H「遣米使節VS咸臨丸」の歴史的意義

<<   作成日時 : 2011/08/27 06:39   >>

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時代背景
・文政13年(1830) 欧米人&ハワイ人5人+カナカ人20数人が小笠原に在住。
ナサニエル・セーボレーらが定着住人の最初。
畑作・・・ヤギ・アオウミガメを食べる。
※捕鯨船との交易が目的・・薪・水・食糧
・嘉永6年 (1853) ペリー来航@
       ペリーが沖縄→小笠原→浦賀・・・
ペリーは小笠原に父島にアメリカ人がいたことで、うれしかった。
アメリカの領土となると思ったからである。
そして、石炭備蓄基地の土地を購入した。 (★ペリー航海日誌)
画像

   (★ペリーの小笠原上陸記念碑)
   (★浦賀の上陸記念碑は見つからなかった。)
    ペリーは小笠原のこと、開国のことを話した。
    ペリーは蒸気機関車の模型を見せた。
・嘉永7年 (1854) ペリー来航A・・・日米和親条約。
・安政3年 (1855) ハリス来航。
下田奉行:井上清直&目付:岩瀬忠震(ただなり)が会見。
※遣米使節の提案がなされた。
●攘夷論・・・幕府に大半。
●開国論・・・井伊直弼・小栗上野介
→日米修好通商条約
■将軍・・一橋慶福(よしとみ)
■安政の大獄・・・橋本左内・吉田松陰など

・安政6年 (1859)  小栗が本丸御目付就任。
9月13日 井伊直弼は、遣米使節メンバーを発表。
 10月4日  ブルッフ大尉から、船の情報入手
 12月1日  日米修好通商条約の条約批准書交換使節の命令が下る。
     新見正興・村垣範正・小栗忠順がブルッフ大尉と打ち合わせ
     1)正使:新見正興
      2)副使:村垣範正
     3)目付「監察」:小栗忠順

・安政7年(1860) 日本からの小笠原移民開始。(★パンフでの記述。)
  ★幕府は、諸外国に日本の領土と示す必要性があった。

●日本初の世界一周旅行〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
安政 7年・万延元年 (1860)
1月18日(西暦2月9日) 築地講武所→品川
  ■条約文書交換のため、米艦ポーハタン号で品川を出帆。
  アメリカ人乗組員312名 日本人77名。計389人
※米艦ポーハタン号・・・2415t
画像

   (★明治大学での小栗上野介展のパンフレット)
※随行艦「咸臨丸」・・・300t 99名
 海軍奉行:木村義毅が提督。艦長:勝海舟。
 ・・福沢諭吉など
画像

   (★小笠原の入港時の咸臨丸・・・咸臨丸墓地)
画像

   (★市川光一先生の講演会資料より)
1月18日 日本:品川〜〜
2月1日  激しい雨。
      アメリカ人は親切だった。
嘆き悲しんでいると「じきじきと」励ましてくれた。」
2月2日  日付変更線・・・★ここからは1日早い。
2月14日 ハワイ:ホノルル
カメハメハ4世に謁見
●小栗は新聞社に訪問・・正確さ、かつ迅速さに感動。
※後、小栗は福沢諭吉と新聞発行を企画→失敗
石炭補充・破損修理完了〜〜〜〜。
 ※桜田門外の変・・・井伊直弼の暗殺  
★水戸藩士・・・中居屋重兵衛が黒幕的な存在。
ピストル20挺を水戸藩士に渡した。
詳細は、「箕輪初心★★群馬の偉人:中居屋重兵衛」を参照
2月25日 咸臨丸がサンフランシスコに到着。

3月9日 ポーハタン号がサンフランシスコに到着
「洋式の灯台を見た。祝砲がなった。」
海軍ドッグに入った。
咸臨丸一行:木村・勝海舟・ブルッフ大尉が来た。
    ブルッフ大尉の話
  「咸臨丸は、1月13日品川出航〜〜〜大暴風〜〜
2週間前にサンフランシスコに着いた。」
    ・港で別れる。
閏2月18日 サンフランシスコ出航〜〜〜〜
閏3月5日  パナマ着
     パナマ===パナマ鉄道:汽車(アメリカの敷設)
「8両編成・・・4両目〜8両目が人を乗せる。」
   ●小栗は、鉄道が株式で運営されていること知った。
(後に、小栗は日本初の株式会社を設立)
(後に、小栗は鉄道の敷設を提唱)
    ==大西洋側
閏3月7日 ※米艦ロアノーク号3400tに乗船
●小栗は蒸気船ではなく、スクリュー船だった。
      パナマ:アルペンオール(コロン)〜〜〜〜
閏3月25日 アメリカのワシントン
      歓迎を受ける。音楽隊や花束・・・馬車で移動。
      ウィラーズホテル泊・・・・7階建ての
    ●小栗は、水洗トイレを使用した。・・・
(後に、小栗は水洗トイレの築地ホテルを建設)
「食事は、鶏肉のスープ・牛乳・パン・コーヒー・
 茶・アイスクリーム・ワイン・シャンペン砂糖漬け
 カステラ・スイカ・オレンジ・ゆで卵・豚の丸煮・
 蒸した牛のモモ肉・鶏の肉・鯛や鱒である。」
●リハーサル・・
万延元年 (1860) (3月18日万延と改元)
閏3月28日  第15代:ブキャナン大統領に謁見。
  国書奉呈の儀式
 4月 3日  新見正興・村垣範正・小栗忠順が領事館に行く。
      外国事務宰相レウス・カスと会見
      日米修好通商条約の批准を交換。 
4月5日 ワシントン海軍所見学・・・大工場であった。
●小栗達は船・鉄砲・小道具・大砲・砲弾・銅・鉄製品
 &反射炉・溶鉱炉・スチームハンマーを見た。
(後に、横須賀造船所を建設)
●小栗は、「ネジ」を持ち帰った。
 ネジが大量生産されていることを知った。
●小栗達は造幣局で作った金メダルをプレゼントされた。
●通訳見習い「トミー=立石得二郎」が大人気だった。
 「ヤンキーガールに追いかけられた。小栗が注意すると
 新聞沙汰になった。」
 4月20日 ボルチモア・・・歓迎・・・1泊
●消防演習でポンプを見た。トミーはホースを持った。
   〜〜川を船で越える〜〜〜
●汽車ごと運ぶ蒸気船に乗った。
 4月21日 フィラデルフィア着
コンチネンタルホテルに宿泊
●トミーは大人気・・雑誌に掲載された。
●気球を見た。
●時計店の見学・・・貴金属・眼鏡など
 4月25日 小栗の発案で、金貨製造所の見学。
    ●金&銀の比率・・・日本の3倍半だった。
●金の分析方法に「No.・・・・」と答え、
 天秤ばかりで量った後、ソロバンを使って、
 正確に計算した。^^^^^^
 小栗はアメリカで「センサー・オグロ・ブンゴ・ノカミ
 ハ小柄ではあるが、生き生きとした紳士である。」とか、
 「シャープな男である。」とか、「ブラック判事」とか
  評価された。実際の実務は小栗がやっていた。
 4月28日 NY着・・・・ 大歓迎。
       NY州陸軍8000人の警護。
メトロポリタンホテル
5月8日 歓迎晩餐会・・・主席者10000人以上

5月5日 咸臨丸が浦賀に帰港。

5月13日 ※米艦ナイヤガラ号4800t
     NY出航〜〜〜〜〜
5月29日 大西洋ベルデ岬諸島着〜〜ポルト・グランデ
          薪・水・食料を補給。
6月21日 ポルトガル領ルワンダ〜〜〜〜〜
薪・水・食料を補給。
●小栗達は奴隷売買を見た。1人10$〜20$
7月11日 アフリカの喜望峰
8月17日 ジャワ:バタビア・・オランダ提督に面会
9月10日 香港・・・イギリスの植民地。
     ●アヘン戦争→アロー号事件
半植民地化に日本の危機感を持った。
9月28日 日本:横浜帰着。冷たい歓迎であった。
●〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜渡海日誌より


遣米使節の歴史的意義 
 ポーハタン号・・・新見・小栗上野介忠順など。
万延元年 (1860) 2月18日
 ※米艦ポーハタン号・・・2415tなど3隻の船などを使用。  
  品川→横浜→ハワイ→サンフランシスコ→パナマ・・汽車・・
   フィラデルフィア→ワシントン→NY→カナリア諸島
   →コートジボアール?→ケープタウン→インド
   →バタビア「ジャカルタ」→マニラ→上海→品川
  でも、薩長の歴史観から「小栗などの幕府の歴史」が抹殺された。
  (丸亀市Hpや本島パンフレットなどを参考に編集)
  (小栗上野介忠順:市川光二・群馬東善寺博物館)
  (東善寺:村上先生の著作の本)

 1)日米修好通商条約の批准
 2)小栗上野介の活躍
   @中小坂鉄山(群馬県下仁田)の開発・・・鉄の供給。
    横浜製鉄所・・・鉄鉱石→製鉄。
   A横須賀製鉄所=造船所・鉄→ネジなどの鉄製品・船などの製造。
    戦艦「三笠」の東郷平八郎も小栗を絶賛、
    「勝てたのは、小栗さんがいたからだ。」と食事に招待。
   B日本初の株式会社:兵庫商社(鴻ノ池など22人)
    日本初の洋式トイレ付きの築地ホテル。
   Cフランス式陸軍制度の導入・・・・
   D日本初のフランス語学校の設立
   ●提案事項・・・Eガス灯 F郵便・電信制度 G新聞 H鉄道敷設 
     I森林保護 J中央銀行 K商工会  など・・・
   ●小栗は「ワシントン海軍工廠で、銑鉄からエンジン・シャフト・
  大砲・玉・ねじ・ドアノブなどを造っているのを見た。」

  横須賀鉄鋼所→横須賀造船所の建設
  製鉄所ではなく、銑鉄を加工する工場の建設を構想した。
  ・工場でワイヤーロープを造り、蒸気動力の帆船を建造した。
  ワシントン海軍工廠と同じ構造のハイブリッド造船所であった。
 大砲工場・・・大砲の筒作りは、今まで水力であったので、削りに
  1ヶ月以上かかっていた。それを小栗は蒸気機関で削りを考えた。
  1週間以内には完成してしまうのだ。
   ●小栗は「欧米の植民地政策&黒人奴隷」を見て、日本を欧米に
    屈しない国作りを考えた。


咸臨丸の歴史的意義
万延元年 (1860) 1月18日
※米艦ポーハタン号2415tの随行艦「咸臨丸300t」99名
   名目は「ポーハタン号の護衛&荷物運搬である。」
   本当の目的は「長崎海軍伝習所(長官:勝海舟)の訓練成果の確認&
   日本の幕府海軍の力の誇示であった。

 海軍奉行:木村義毅が提督。艦長:勝海舟。通詞:中浜万次郎
 中津藩士:福沢諭吉・・・塩飽水軍の子孫
  咸臨丸の水夫50人中、35人が塩飽出身の水夫であった。  
    塩飽衆は外国人乗組員に励まされ、大活躍した。
  ※塩飽衆の水主の航海日誌がある。(塩飽勤番所)
画像

   (★香川県丸亀市本島の塩飽水軍の子孫の家並)
    品川→・・・嵐・・・
   2月25日サンフランシスコ着
    →・・・ハワイ・・・
   5月5日浦賀着・・・品川
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   (★学研まんが「勝海舟」より・・・小栗は出てこない)   
  ●「咸臨丸は日本人の手で太平洋をはじめて横断した。」
    →★俺、憤慨。明治政府の政策だから〜〜〜。
    勝海舟はげろでだめだったらしい。
    福沢諭吉は新米でだめだったらしい。
     →後に、勝海舟と福沢諭吉は考えで対立。
    行きは大嵐のため、外国人が操縦した。
    塩飽衆が大活躍。 

・文久2年(1862) 12月 小笠原の調査命令。
    ※調査は名目で、幕府は日本への強制奪還を狙った。
    12月29日 「咸臨丸」での探検・調査隊を派遣。
外国奉行:水野忠徳、通史:中浜万次郎・・総勢90名。
■水野は父島で、セーボレー、トーマス・ウエッブ、
ジョージ・ホートンなどと穏やかに交渉した。
「日本領土なので、手続きは必要だが、生活は束縛しない。」
という契約書を日本語と英語で取り交わした。中浜万次郎の
活躍と言える。セーボレーのアヒルが盗すまれた時、犯人が
見つからず、4$を払った。
 ▲旭山267mの山頂に旭日旗を立てた。領土宣言。
画像

    (★旭山南峰から旭日旗を立てた北峰を望む)
 ☆父島に、咸臨丸の墓地がある。
画像

 ■母島でイギリス人:ジェームズ・モートレーとドイツ人:
フレデリック・ロースと会談した。
 母島も日本の領土とし、好きに生活してよいという契約をとりつけた。
画像

   (★ 母島のフレデリック・ロースの家)
3月9日 帰路・・・

1)日米修好通商条約の遣米派遣の随行船であった。
   @品川〜〜サンフランシスコ間を往復。
   Aサンフランシスコで遣米使節(新見・小栗ら)と木村・勝が飲み会。   
   B福沢諭吉がウェブスターの英語辞典を購入。
     →慶應義塾大の英語教育に貢献。
   ★勝海舟の見聞は広まったが、
     後に、勝海舟は西郷隆盛との個人交渉により、江戸城明け渡しと
     徳川家存続に貢献した。
   ★咸臨丸は大して役にたってないと考えられる。
   10年後の明治政府の薩長史観には、PR上、大いに役だった。
    
 2)咸臨丸は小笠原の日本領土を確定した船として、凄い活躍をした。
   @水野忠徳&ジョン万次郎・小花作助は、既に小笠原に在住していた
    アメリカ人・カナダ人・・・イギリス人に「ここは日本の領土である。」と
    説明し、納得させた。本来なら、父島がアメリカ領、母島がイギリス領
    になる可能性が高かったのに、日本の領土とした。・・・★詳細は後日。


★2005年11月改訂の学研まんが「勝海舟」では、
「海舟は、咸臨丸を指揮して、日本人として初めて太平洋を横断し、
アメリカに渡りました。」
とあった。
明治政府の「薩長史観」にとって、小栗の功績は目の上のたんこぶである。
従って、「小栗上野介」を、明治政府は歴史から抹殺した。
そして、明治政府の薩長史観が、151年経っても続いているのである。

明治政府の発表には間違いが多すぎるが確かである。
理由は以下の3点である。
@咸臨丸を指揮していたのは、アメリカ軍:ブルッフ大佐+アメリカ水夫
 勝海舟はげろの吐きっぱなしで、能なし男だった。
 ★役に立ったのは、水夫の50人中35人の四国塩飽水軍だけかも。
A初めて太平洋横断は、田中勝介&支倉常長がメキシコに行っている。
 ★箕輪初心★★「田中勝介&支倉常長」を参照してね。
B初めてアメリカに渡ったのは、ジョン万次郎=中浜万次郎である
 可能性が高い。
  


平成23年(2011)7月28日
★★★村上泰賢先生の「咸臨丸をどかす会」に入会★★★


画像

 ※村上泰賢氏(東善寺住職)「遣米使節三船」より
 「遣米使節一行はアメリカの軍艦3隻を乗り継ぎ、世界一周を
 して帰国した。その歴史を隠したのが、随行でサンフランシ
 スコまで往復しただけの咸臨丸である。
 2010年の「遣米使節150年」を「咸臨丸150年」に変更できない
 ので、日本史教科書から咸臨丸を外して「ワシントン海軍造船所
 見学写真」を掲載した。」と、明言している。





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