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zoom RSS 箕輪初心★★小栗上野介F「小栗道子夫人の会津への逃避行」

<<   作成日時 : 2011/08/14 07:29   >>

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慶応4年(1568)閏4月3日=小栗上野介は殺される3日前
@小栗上野介は高崎藩・安中藩・吉井藩の3藩の動き&
A西軍の動きに不安を感じて、権田村:中島三左衛門達に
家族を会津へ避難を頼んだ。小栗道子夫人・母堂邦子
・養女鉞子(よきこ)達は30名程の村人に護られ、避難した。
赤ん坊をお腹に宿しての道子夫人の旅は想像以上であろう。

旧倉渕村権田→東吾妻町(旧坂上村)→旧六合(くに)村→(現野反湖)
・・1200年前の新田系里見一族のコース・・地蔵峠→秋山郷・妻有→
十日町→小千谷→長岡→燕→中之島→新潟&法音寺墓参・・
阿賀野川沿い・・・→水原→津川→会津若松へ・・出産・・・。
 
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小栗上野介の動向 4月22日  東山道総督が高崎藩・安中藩・吉井藩に小栗の追補命令。
※東山道総督:岩倉具定(具視の子17歳)
東山道福総督:岩倉具経(具視の子16歳)
参謀:板垣退助 & 伊知地正治・・・実質的な指令 
「小栗上野介・・陣屋を厳重に相構え・・・。」
4月29日  東山道総督の命 神山宿で大井・沓掛が面会。
      →三藩は追補兵を三ノ倉に宿陣(全透院)。
閏4月 1日  三藩は観音山等を検分。
       逆謀私心無き事を知り、銃5挺などを押収。
閏4月 2日  養子又一、用人塚本真彦、沓掛藤五郎、多田金之助を
       随員として高崎藩へ 無実弁明のため出向いた。
閏4月 3日 妻の脱出計画。・・・後。会津へ。
閏4月 4日 ※東山道鎮撫総督府軍監副巡察使:原保太郎・豊永貫一郎
「小栗上野介は大罪人であるから、追補せよ。」と激怒。
「従わない場合は、3藩に保証はない。」と脅迫。
巡察使:大音龍太郎の意向もあった。(★村上氏)
※大音龍太郎・・・近江伊香郡木之本村大音(小谷城近く)
の出身で、勤王浪人・・・箕輪村龍門寺(井伊直政建立の
鬼門の寺)に2年程滞在・・巡察使・・初代:岩鼻県知事)
閏4月 5日 3藩の兵が東善寺裏山より侵入。
       小栗上野介らを捕縛→三ノ倉の陣屋(戸塚宅)に連行。
閏4月 6日  取り調べなく、水沼川原で家臣とともに斬殺。
大井礒十郎・渡辺太三郎・荒川祐蔵・・斬首。
小栗上野介を斬首。
・・安中藩徒目付:浅田五郎作が原に命じられ、斬首。
閏4月 7日  高崎藩牢屋敷処刑場で
       養子:小栗又一・用人:塚本真彦、
       沓掛藤五郎、多田金之助を斬首。

★写真はイメージ写真。しかも、現代版。
小栗道子夫人の避難と護衛隊の動向
【1】権田村を脱出
・慶応4年(1568) 
閏4月3日 「高崎へ引き上げた西軍がもう一度やってくる。」
という情報を得て、小栗上野介は東善寺で、残る家臣と村役人を
  呼んで、前後策を協議した。
  小栗上野介は東善寺を出て、道子夫人と権田村字亀沢の大井彦八宅に
  身を寄せていた。
 4月4日・・・権田村名主:佐藤藤七が「お還り下さい。
  お殿様を逃がしたとあらば、村に火をかけ、村人を皆殺しにすると
  申しています。その上、高崎に遣わした又一様の御身にも差し障りが
ありますから、是非戻って弁解して頂けるなら、穏便にすむでしょう。」
と語るので、小栗は道子と別れる決心をした。
主人:上野介との別れを悲しむ道子夫人の悲嘆は、居合わせた人々
の涙を誘った(伝)。
小栗は村役人:中島三左衛門に「小栗道子夫人を会津へ逃してくれ。」
  と頼んだ。そして、東善寺へ引き返した。

  中島三左衛門は村人達で護衛隊を作り、会津への決死の脱出に入る。

【0】上野:倉渕村東善寺(元高崎市旧倉渕村東善寺)
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   ★平成23年(2011)7月28日村上泰賢先生の講義を拝聴。

【1】上野:倉渕村亀沢の大井家・・
 ※会津へ脱出した小栗家の女性たち
 護衛隊は小栗家の三人の女性を護って会津へ向かった。
 @夫人道子(30)=播州林田藩主:建部政醇(まさあつ)の娘。
 A上野介の母くに・邦子(63)=元新潟奉行小栗忠高の妻。
  小栗忠清の実娘でしばらく男子がなかったので忠高を婿として迎える。
  のちに弟数馬が生まれたので、数馬を日下家へ養子に出す。
 B又一の許婚鉞子(よきこ・15)=旗本日下数馬(小栗邦子夫人の
  実弟・日下家へ婿入り)の娘。6歳で小栗家の養女。
  (★亀沢温泉・・・結構、いい。3回入浴。水曜日休み?)

【2】亀沢→大反の部落中沢兼吉宅
 4月4日〜5日 途中、吉井藩の黒澤省吾が探しにきたが、
黒澤省吾「早く落ち延びよ。」と見逃してくれた。

【3】吾妻郡萩生の一場善太郎家泊・・・
  
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   (★写真は萩生の店。)

【○】大戸の関所
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   (★国定忠治がつかまった場所・・・大戸城も見える。) 

【4】吾妻郡坂上村の高橋円次郎宅泊
   ★天明の飢饉後、加部安兵衛は村のために資材をなげうった

【○】吾妻郡須賀尾村の上原家で昼食・・・
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   ★浅間温泉郷は3つの温泉からなる。
   「かやぶきの郷」の入湯料は1000円・・・★温泉施設が最高である。
    二手に分かれて移動。
 道子夫人は須賀尾峠越え。邦子とよき子は万騎峠越え

【○】須賀尾峠→  丸岩(★羽根尾城:海野幸全の支城)→
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横壁城(=柳沢城)前
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   →長野原宿→旧六合村貝瀬
広池:山本市兵衛の馬・・・

【4】旧六合村和光原のヤマニ(山田弥平治)の家
   ※山田家は元々は秋山郷のまたぎだった。
   4月7日〜10日  道子夫人らは3日滞在。
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  ヤマニの家・・・火事で消失。
  ★子孫の方が家とお墓を案内して下さった。★ヤマニの家&墓
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  ※母&よき子組は猪借の関所・・・合流。
  
  旅支度を整え秋山郷への山道に分け入った。
山籠を利用した。
※くに、鉞子らは善光寺参りを装って、
  草津白根山の北→渋峠→信州回りで越後を目指した。

【○】小栗清水・・・野反池の手前で水を飲んだ。  
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  ★六合村のボランティアによって整備された。

【○】野反峠・・・★野反湖は昔は湿地帯の池だった。
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【○】右手の山に入って地蔵峠・・・佐武流山の中腹を行く。
★謙信越えの道・佐久間象山の逃げ道である。
道子夫人は牛に乗って峠越えをした。
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   ★写真上の沼尻から東の県境伝いに地蔵峠に行ける。

【5】渋沢小屋泊

【○】秋山郷の切明→和山
   山籠はここで帰っていった。
◆秋山郷の温泉・・・★奥滋賀から秋山郷ドライブ
@切明温泉「雄泉閣」・・・025-767-2252
A和山温泉・・茶色の湯 ★苗場山登山後の風呂で最高。
佐久間荘・・・マーちゃんの又従兄弟
 B栃川高原温泉・・
 C上野原温泉・・・のよさの里・・「北越雪譜」の鈴木牧之の宿
 D屋敷温泉・・・3軒
 ※資料館・・・・★家自体が資料館になっている。
 E小赤沢温泉「楽養館」・・茶色の湯★日帰り温泉025--767-2297  
 ※福原商店「栃餅」・・・★これは旨い。
 F結東温泉・・・・ 
G坂巻温泉・・・・
 H北野天満温泉・・
★秋山郷は秋田からの「またぎ」や平家の落人である。
  暮らしも学ぶと面白い。

 和山温泉・・・5軒。
 ★「大屋」・・・・明治以前からの家であった。
   「ここは100年以上続く家で、1軒しかなかった。」
   親戚マーちゃんの又従兄弟「佐久間屋」025-767-2247で、確認した。
   でも、小栗は知らなかった。
  村上先生・・・この大屋が道子夫人の泊まった家かも
   しれません。★和山温泉「大屋」です。

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【5】秋成(秋山郷)の桑原宅=元酒屋・・・歩兵が泊
  
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  ★中深見地区の博物館隣に桑原宅があった。
    ここかどうかは、不明。こんな造りの家だったんでしょうね。   
   秋成地区・・・幕末〜明治の偉人。明治初年の秋成地区の
    庄屋名:佐藤重正」という方の碑がありました。ここが中心部だった。
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   ★小栗道子夫人の部下の宿泊先はこの辺りかもしれません。
   
 反里口の根津仁右衛門宅に泊
   ・・・山田ヤマニもいる。
  4月10日

  ■三国戦争に一部の歩兵:佐藤・塚越などが合流を決意。
  浅貝駅の本陣で、町野源之助の隊に合流・・・
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 ★左の旅館が本陣
会津軍数百名 
    VS 
  西軍1300名
巡察使:大音龍太郎
副巡察使豊永貫一郎&原保太郎 (豊永・原は小栗を5日前に斬首)
   上野諸藩・・高崎・吉井・安中・前橋・伊勢崎・小幡・伊勢崎・足利

  ★つまり、歩兵は小栗の仇討ちを考えたのであろう。
町野弟:町野久助ら3人が切り込み、戦死。
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町野久助伝説・・・「西軍に力を貸したら、石を投げるぞ。」
 (★三国街道永井宿から2km先のトイレに長井宿の人の供養塔)

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【○】津南・・・三国街道の分岐点。
  ★上杉謙信の13回の関東出兵中、何回も往復した。

【6】十日町中条の名主:岡田寛蔵宅泊
  ★鎌倉時代初期に新田一族系里見一族が大量移住の地。
  大井田一族分家→上条氏・中条氏。
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  ★小嶋屋のへぎそばが旨い。
★笹山遺跡(国史)=火焰式土器の発掘地(十日町市中条町)
  ※母達と合流。路銀がつきた。
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  ▲金策に戻った二人=中沢兼五郎&塚越房吉
  中島三左衛門・・・「村へ戻って金を工面してこい。」
  と命じられ、十日町中条村から権田へ戻る。
  途中、白根山の中腹芳ケ平で警戒中の松代藩兵につかまった。
  牢屋で取調べを受けたが、許されて、やっと権田へ着いた。
  しかし、わずかな金しか調達できなかった。
  
  
  後を追った二人=中沢兼五郎らは再び会津へ向かった。
  兄:大井伝兵衛&渡辺筆吉は後を追って村を出た。
  沼田→川場村→花咲(片品村)→戸倉
  ※西軍が待機。
  →小川へ→小川の湯で2日滞在。
  →5月13日夜中に四郎峠?越え
  →大清水→尾瀬沼・大江湿原 
  ※尾瀬沼付近で会津藩士:河原田信盛らに尋問
  ★大江湿原に、会津藩の土塁がある。森の手前だが入れない。
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  三池・・・
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  →桧枝岐→久川→田島→会津へ。


閏4月15日大音竜太郎は佐藤藤七に25両渡した。

【7】小千谷の堀之内の庄屋:宮宅OR岩下村:・・不明
  ・二つの隊は越後の小千谷堀之内村で合流。
・コース @小千谷の堀之内→長岡→中之島→燕→新潟
A小千谷の堀之内→山古志→栃尾→新津→新潟
・この時、西軍は三国峠付近にいた。
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(★信濃川沿いの慎地城)

【8】長岡
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  (★長岡駅前) 

【○】吉田・・・

【○】燕(三条市)・・・★今年の大水は凄かった。

【○】中之島

【○】★たぶん、寺泊
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    (★寺泊の魚販売店)   
     ★天神山城・・・直江兼続の兄の城の前
     →弥彦神社前
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【○】★新潟西・・・★北国街道の松尾芭蕉コースの逆

【10】新潟:大庄屋:藤井忠太郎宅2泊・・父小栗忠高の配下
 小栗忠高の墓 
  新潟市法音寺・・小栗上野介父:忠高の墓
  小栗忠順によって法音寺(新潟市西堀通り)の墓地に墓が建てられた。
  くににとっては、13年目にして初めての亡き夫の墓参である。

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   (★新潟・・・
  ■西軍の長岡藩への攻撃
    ・・・河井継之助が中心に長岡藩をまとめ、西軍に対抗。
  
新潟酒屋陣屋:秋月悌太郎が籠3挺&馬2頭を用意した。
   (★秋月は9月22日の会津城受け渡しの役をした一人)

 ※小栗道子夫人らは長岡に迫った西軍に追われるように会津へ急いだ。

【○】小阿賀野川(水路)

【○】阿賀野川・・・→水原
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   (★阿賀野川下り・・・何年前のことだろう。)

【14】津川村(会津藩の力が及んでいる。)
    ★この街道も通ったことがある。 

【15】会津の湊屋善兵衛宅泊
閏4月28日

【16】会津の横山邸
  閏4月29日 小栗夫人らが到着。

(★参考文献・・・みやま文庫『小栗上野介』(市川・村上・小板橋共著)

★・・・会津に到着したものの、道子夫人の運命やいかに?  続きは明日。

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