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zoom RSS 箕輪初心★★群馬:小栗上野介★★E「東善寺&村上泰賢住職」

<<   作成日時 : 2011/08/13 07:53   >>

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平成23年(2011)7月18日に、小栗上野介の隠居先:東善寺
(群馬県高崎市の旧倉渕村)を訪問した。7回目の訪問である。
そして、今回は直接、東善寺住職:村上泰賢先生から話を戴いた。
村上泰賢先生は、『小栗上野介』の最高の理解者であり、
『小栗上野介イベント』の表&裏の立役者でもある。
村上泰賢先生の話を聞き『咸臨丸をけずる会』に加入することにした。

最高に嬉しかったのは、村上先生が私のブログ「箕輪初心■
小栗上野介」のシリーズを読んで下さったことである
小栗ファンとしては最高であった。

私の幕末bPスーパースターは『小栗上野介』である。
 日本の近代化に一番貢献した人物だからである。
 勝海舟でも坂本龍馬でも西郷隆盛でもない。小栗上野介である。

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■【1】東善寺境内散策・・・7回目
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@トイレ・・・ポーハタン号のデザインの色ガラス
A栗本鋤雲の像・・
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B小栗の像
C宝物館・・・・
D小栗ファミリーの供養塔
E小栗の墓・・・・胴体だけ埋めた墓(上に登る。)

■【2】東善寺博物館・・・・4回目
  ※時代順に、きめ細かく並べられている。写真撮影は禁止。
  ※紙芝居があった。
いつか、小栗祭りのボランティアガイド:島田氏から
   話が聞けたら、楽しくなるだろうと思う。


■【3】村上泰賢住職の話
@官軍という言い方について
 「官軍という使い方は、使わない&使えない。」
  官軍=いい人 vs   賊軍 =悪い人
理由・・・小栗上野介は悪いことをしていなかった。
  →村上氏は「薩長土肥軍を西軍を呼ぶ。」

@は正論だと思う。

A顕彰碑の秘話
『偉人小栗上野介罪なくして此所に斬られる 岳南蜷川新』
昭和7年・・・高崎警察に顕彰碑建立の許可願いを出した。
  文面から政府批判と断られた。
  →東大法学部教授国際法の蜷川(にながわ)新(道子夫人の妹の子
   =小栗の甥)に建立を依頼した。
   ・・・手紙の返事「田中(総理大臣:田中義一)に返事をさせる。」
 田中義一総理→高崎警察署→許可。

箕輪初心Aの補足説明
 ※田中義一・・・父は長州藩士。ロシア留学。児玉源太郎の参謀。
   陸軍大将→元帥候補を止め、政治家へ。高橋是清の傘下に。
   第26代総理大臣。勲一等。男爵。・・・
※高橋是清・・・後述の「坂の上の雲」に出てくる。
   東大教授→総理大臣へ

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  ★小栗上野介が斬首された場所

B学校教育に「小栗上野介」を教えてはいけない理由
 「明治の学校制度下で、歴史の教科書に載せられないのは、
  ●「誰が殺したか。殺させたか」と言う問題になると、
 答えは「官軍。」となる。だから、逆賊のままにした。」
 
箕輪初心Bの補足説明
 「小栗上野介」は、明治政府の推進者:薩長土肥からすれば、
  最も煙たい存在であったので、歴史から抹殺した。
・慶応 3年 (1867) 10月14日大政奉還が行われた。
  ※薩摩藩の西郷隆盛は江戸の放火を命令
       →相良総三など500人が放火・強盗。 
  頭にきた小栗上野介は、薩摩藩邸を襲撃を決意した。
  12月25日 ●小栗は薩摩藩邸への焼き討ちを決行
→鳥羽伏見の戦いの火種に発展
(さらに、薩摩の恨みを買った。)
  これを薩摩藩士は根に持っていて、取り調べなく、
  小栗一族や家臣を斬首に繋がっている。
4月22日  東山道総督が高崎藩・安中藩・吉井藩に小栗の追補命令。
※東山道総督:岩倉具定(具視の子17歳)
東山道福総督:岩倉具経(具視の子16歳)
参謀:板垣退助 & 伊知地正治・・・実質的な指令 
「小栗上野介・・陣屋を厳重に相構え・・・。」
4月29日  東山道総督の命 
    神山宿(高崎市榛名町上里見)で大井・沓掛が面会。
      →三藩は追補兵を三ノ倉に宿陣(全透院)。
閏4月 1日  三藩は観音山等を検分。
       逆謀私心無き事を知り、銃5挺などを押収。
閏4月 2日  養子又一、用人塚本真彦、沓掛藤五郎、多田金之助を
       随員として高崎藩へ 無実弁明のため出向いた。
閏4月 3日 妻の脱出計画。・・・後。会津へ。
閏4月 4日 ※東山道鎮撫総督府軍監副巡察使:原保太郎・豊永貫一郎
「小栗上野介は大罪人であるから、追補せよ。」と激怒。
「従わない場合は、3藩に保証はない。」と脅迫。
巡察使:大音龍太郎の意向もあった。(★村上氏)
※大音龍太郎・・・近江伊香郡木之本村大音(小谷城近く)
の出身で、勤王浪人・・・箕輪村龍門寺(井伊直政建立の
鬼門の寺)に2年程滞在・・巡察使・・初代:岩鼻県知事)

閏4月 5日 3藩の兵が東善寺裏山より侵入。
       小栗上野介らを捕縛→三ノ倉の陣屋(戸塚宅)に連行。
閏4月 6日  取り調べなく、水沼川原で家臣とともに斬殺。
大井礒十郎・渡辺太三郎・荒川祐蔵・・斬首。
小栗上野介を斬首。
・・安中藩徒目付:浅田五郎作が原に命じられ、斬首。
閏4月 7日  高崎藩牢屋敷処刑場で
       養子:小栗又一・用人:塚本真彦、
       沓掛藤五郎、多田金之助を斬首。

  ●〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
4月  大音龍太郎の届け出 
「小栗上野介は松平容保・小笠原壱岐守と結託し、碓氷峠で
   官軍の待ち伏せを計画するため、権田村に引き込んだ。
   百姓が蜂起すると、罪のない百姓を殴打した。
   官軍たりとも我が地に踏み込んだ者は取ってやる・・・
   そこで、高崎・安中・吉井の3藩を・・差し向けたところ
   機械を隠し・・・「中略」・・・鉄砲数十挺を土の中に・・
   上野介父子並家来六人を斬罪にしました。」・・・
             
         (★小栗上野介:村上共著より編集) 
  ★嘘の届け出内容だった。佐藤藤七に25両渡し、ごまかした。  

C明治政府の歴史捏造
  「小栗上野介達の遣米使節は世界一周を果たしたが、
  勝海舟の咸臨丸だけが歴史で取り上げられる。
  咸臨丸を教科書=歴史に載せるより、ワシントン海軍工場を
  掲載した方が、日本の近代化の観点からは正しいと思う。
 咸臨丸の嘘の理由@・・・「日本初の太平洋横断」と教科書にあるが、
 実際は、田中勝介が渡米しているし、支倉常長もメキシコに
行っている。・・・★後日、紹介予定
咸臨丸の嘘の理由A・・・「日本人だけ」
実際はアメリカのブルッフらの操縦で渡った。
勝海舟は船酔いで、げろを吐いていただけだった。」

→『東善寺HP:咸臨丸をどかす会』入会無料に入ろう。
 

箕輪初心Bの補足説明
 明治政府は薩長土肥による天皇制中心の歴史偏重教育を推進。
 @小栗上野介忠順を歴史から抹殺?薩長の一番嫌いな人物だったから。
 A勝海舟を評価して、「日本人だけの力で渡米。日本人は優秀だ。」
  という観念を植え付けた。政治必要悪?
  ・実質は、ブルック大尉他11名+日本人3名が船を動かしたのに。
  ・仙台藩の支倉常長が200年前にメキシコに行っているのに。
 Bボーハタン号の77人の世界一周を抹殺。やっと平成になって、
 「そのとき歴史が動いた」などで紹介。


 ※米艦ポーハタン号2415tの随行艦「咸臨丸」300t 99名
 海軍奉行:木村義毅が提督。艦長:勝海舟。通詞:中浜万次郎
 操縦・・ブルッフ大尉ほか8名?
日本人スタッフ・・讃岐国:塩飽水軍の子孫
     ★咸臨丸の水夫50人中、35人が塩飽の水夫であった。
  塩飽水軍の歴史
  ・慶長2年(1597) 豊臣秀吉の朝鮮出兵での海上輸送
      →塩飽諸島に人に対し650人に1250石の領地が与えられた。
      →軍役の義務を負ったが、特権的地位は保証。
 ・慶長5年(1600) 徳川家康からも塩飽の船方衆650人に1250石の領有認可。
 ・万延元年(1860) 塩飽衆は咸臨丸の航海でサンフランシスコ往復。
   咸臨丸の水夫50人中、35人が塩飽出身の水夫であった。」  
    塩飽衆は外国人乗組員に励まされ、大活躍した。
  塩飽衆の水主の航海日誌がある。(★香川県の本島の塩飽勤番所)
    品川→・・・嵐・・・サンフランシスコ→・・・ハワイ・・・品川 
 
  ※明治政府「咸臨丸は日本人の手で太平洋をはじめて横断した。」
  →★俺、憤慨。明治政府の政策だから〜〜〜。
    勝海舟はげろでだめだったらしい。
    福沢諭吉は新米でだめだったらしい。
    行きは大嵐のため、外国人が操縦した。
    帰りは塩飽衆が大活躍した。

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   ★箕輪初心■四国・香川:「塩飽水軍の歴史」を検索して欲しい。 
 
  ※米艦ポーハタン号・・・2415t
  ★ボーハタン号・・・新見・小栗上野介忠順など。
  品川→横浜→ハワイ→サンフランシスコ→パナマ・・汽車・・
   フィラデルフィア→ワシントン→NY→カナリア諸島
   →コートジボアール?→ケープタウン→インド
   →バタビア「ジャカルタ」→マニラ→上海→品川
  でも、薩長の歴史観から「小栗など幕府の歴史」が抹殺された。

  (★丸亀市Hpや本島パンフレットなどを参考に編集)
  (★小栗上野介忠順:市川光二・群馬東善寺博物館)
  (★東善寺:村上先生の著作の本) 
  ★詳細は、箕輪初心★「小栗上野介C遣米使節団」などを参照  
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田中勝介の渡航「日本→メキシコ→日本」
・慶長15年(1610) 京都の貿易商人:田中勝介は徳川家康の命を受け、
   前フィリピン総督ドン・ロドリゴの帰郷に同船し、ヌエバ・エス
   パーニャ(現メキシコのノビスパン)へ向かった。
  翌年、ヌエバ・エスパーニャ副王ルイス・デ・ベラスコにより
  派遣された答礼使セバスティアン・ビスカイノ(=エスパーニャ
  国王フェリペ3世の親書を携えて来日。全権大使。)ともに戻った。
         (★ウキペディア参考に作成)
  ★支倉常長の渡航「仙台→メキシコ→スペイン→ローマ・・」使節団
   幕府→伊達政宗の命を受け、支倉常長は遣欧使節
   正使・・エスパーニャ人のフランシスコ会宣教師:ルイス・ソテロ
   副使・・支倉常長。
   遣欧使節として通商交渉を目的に180人余のリーダー
   スペインを経てローマに赴くことになった。
 ・慶長17年(1612)第一回目の使節団として
   サン・セバスチャン号でソテロと共に浦賀より出航。
   暴風に遭い座礁し遭難。
・ 慶長18年(1613)9月15日(太陽暦10月28日)2回目の挑戦
   石巻で建造したガレオン船:サン・フアン・バウティスタ号で
   ○石巻の月ノ浦を出帆。〜〜〜〜太平洋〜〜〜〜。
   ○ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)の太平洋岸のアカプルコ
   ○現メキシコシティー・・・
     ★支倉常長の泊まった青ホテルが残存・・・後日紹介。
   ○陸路大西洋岸のベラクルス→〜〜〜大西洋〜〜〜〜。
   ○エスパーニャ(スペイン)コリア・デル・リオに滞在
  ・慶長20年(1615)1月30日(太陽暦1月2日)
    エスパーニャ国王フェリペ3世に謁見。
    →スペインとの交渉は成功せず。
   ○イタリアのローマに。
  ・元和元年(1615)11月3日(太陽暦9月12日)
   ローマ教皇パウルス5世に謁見。 
  ・元和6年(1620)8月24日(太陽暦9月20日)帰国。
    (★ウキペディアを参考に作成)

D小栗上野介がアメリカで学んだもの
「ワシントン海軍工廠で、銑鉄からエンジン・シャフト・
大砲・玉・ねじ・ドアノブなどを造っているのを見た。」

横須賀鉄鋼所→横須賀造船所の建設
製鉄所ではなく、銑鉄を加工する工場
・工場でワイヤーロープを造り、蒸気動力の帆船を建造した。
ワシントン海軍工廠と同じ構造のハイブリッド造船所であった。
大砲工場・・・大砲の筒作りは、今まで水力であったので、削りに
1ヶ月以上かかっていた。それを小栗は蒸気機関で削りを考えた。
1週間以内には完成してしまうのだ。」

 
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   (★現在の横須賀造船所付近)
箕輪初心Dの補足説明「小栗上野介の中小坂鉄山の開発」
・万延元年(1860) 小栗上野介は遣米使節の目付として渡米し、
   ワシントン海軍工廠などの見学を通じて、日本に鉱工業を興す
   必要性を痛感した。
 ・慶応元年(1865) 横須賀造船所の建設が開始され、横須賀造船所で
用いる鉄の供給元として中小坂鉄山が注目されることになった。
 
小栗は高島秋帆・江川太郎左衛門の砂鉄を原料とした反射炉は
 失敗が多かったことを知っていたと思われる。鉄鉱石から銑鉄にし、
 鉄を加工する必要性を感じていたのであろう。

  ★箕輪初心★「江川太郎左衛門」で検索→伊豆韮山反射炉  
 ・安政3年(1856)水戸藩は南部藩の大島高任から中小坂鉄山の
 鉄鉱石は大砲鋳造用の鉄として極めて優秀であると報告を受けた。
・安政3年(1856)7月22日(太陽暦8月22日)
 那珂湊の反射炉に中小坂鉄山の銑鉄354貫目が装入された。
 →炉内で融解が進まず、大砲鋳造は成功しなかった。
・鉱石を運搬する費用、木炭や石炭の価格、人件費を比較検討したが、
 水戸藩の財政難のために高炉建設は行われなかった。
・安政5年(1858)安政の大獄で、水戸藩の大砲鋳造事業は中断された。
・慶応元年(1865)小栗上野介は中小坂の鉄山に目をつけた。
小栗らは中小坂鉄山の開発と溶鉱炉の建設を行うよう建議を行った。
小栗らは「軍備増強のため鉄山を開発する重要性が高まっており、
   小幡藩領内の中小坂には良質な鉄鉱石が大量に存在し、小幡藩主
   も幕府の高炉建設に賛成している。」と述べた。
 ・慶応元年(1865)閏5月 中小坂鉄山に溶鉱炉を建設するための見分が
    武田斐三郎らによって実施された。
    見分・・中小坂鉄山の鉄鉱石は埋蔵量が豊富で品位が極めて高い。
        →中小坂に溶鉱炉を建設することとしたい。
         予算の都合で半鉱炉1基を建造したい。
 ・慶応元年(1865)10月12日(太陽暦11月29日)
    幕府は小幡藩主に、中小坂鉄山に溶鉱炉を建設するよう通達。
    陸軍奉行と勘定奉行が御用林の使用について相談。
  ・慶応2年(1866)水運についても調査。
 ・慶応3年(1867)10月14日(太陽暦11月9日)大政奉還。
    江戸幕府の中小坂鉱山の溶鉱炉建設は中断。
(★ウキペディアを参考に作成)

E 横須賀造船所&富岡製糸
村上先生の質問
「横須賀造船所の建物と同じものをどこかで見たこと在りませんか?」
  村上先生の答え「富岡製糸です。建物はバスチャンは設計です。
建築家としてはbRです。」

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   (★バスチャンや女性の部屋など)
箕輪初心「バスチャン」の補足説明
 ・慶応3年(1866)横須賀製鉄所(→横須賀造船所)の造船工兼製図工として来日。
  フランスの設計技術者。
・明治4年(1871)1月  政府お雇いフランス人製糸技師:ブリューナ
  は製糸場の設計を横須賀製鉄所の建設に携わったバスチャンに依頼。
  官営富岡製糸場の設計にあたる。
 尾高の資材の調達先
 @石材:礎石にする台石は現甘楽町小幡連石山(長厳寺の裏山)から採掘。
 A木材:杉材・欅材は妙義神社の山林、
     小材は近く山林。
     松材は中之条沢渡の官林。吾妻川→利根川→鏑川を遡上。
 B石炭:寺尾村(現高崎市)亜炭の採掘。
 C煉瓦:現甘楽町福島の笹森稲荷前に築窯。
 D煉瓦の目地材:下仁田町青倉産の石灰を漆灰として使用。
 E窓用のガラス:フランスから輸入。
 3月に着工。
 ・明治5年(1872)
2月 ブリュナがフランス人技師3名と女教師4名を
    など計13名を引き連れて富岡に戻った。
  3月?政府は工女募集
7月 工事完了。構想から竣工まで、僅か2年数か月。
     バスチャン横須賀に帰着。
★富岡製糸のボランティアガイドの説明
「バスチャンは、酒と女を求め、度々東京に通った。」とか
・明治21年9月9日横浜で死去。49歳。シェルブール出身。

箕輪初心■「富岡製糸工場とその関連施設」を検索

E観光地だった横須賀
昔の観光絵地図を見せて下さった。
 ★新名所としてびっくりだった。

F東郷平八郎&小栗子孫
東善寺所蔵の東郷平八郎著の書を紹介して下さった。
「子孫の方から預からせて戴いた直筆の書せす。
 15年前の小栗祭りの時に預かりました。」
  「・・日露戦争に勝って、小栗の妻:遺児を
  晩餐会に招待した。その席で、「日露戦争に勝利したのは、
  小栗さんのおかげである。」と、賞賛しました。」

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箕輪初心Fの補足説明
 小栗はフランス式の陸軍&海軍も造ったのだ。
  →東郷や秋山兄弟もここの出身者であった。
※「坂の上の雲」・・・司馬遼太郎著&TV・・・今年もあるらしい。
 秋山好古・秋山真之の兄弟&正岡子規の3人が主人公。
 愛媛県松山出身の彼らが明治という近代日本の勃興期をどう生きたかを
 描いている。
 ・前半は、秋山好古が堺で小学校教師→大阪師範学校→陸軍士官学校
  →フランス留学→日本騎兵を一から作り上げてゆく様子を基点にしている。
  秋山真之は松山中学→好古を頼り上京。→共立学校で正岡子規と
  夏目漱石は高橋是清に英語を学習→大学予備門(=一高)に在籍。
  正岡子規は、帝国大学文学部へ進学。秋山真之は、海軍兵学校へ。
 ・後半は、日露戦争の描写が中心。秋山兄弟&児玉源太郎&東郷平八郎
  &乃木希典などの将官や日本海海戦について語られている。

 ★横須賀のヴェルニー博物館&戦艦三笠の見学をお薦めしたい。
   ついでに、愛媛県松山の「坂の上の雲博物館」もいいですよ。

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★★★村上泰賢先生に「咸臨丸をどかす会」に入会★★★
 入会無料って言ったいたけど、1300円の年会費のもの
 もあるとか、書いてあったが・・・?


村上泰賢氏(東善寺住職)「遣米使節三船」より
「遣米使節一行はアメリカの軍艦3隻を乗り継ぎ、世界一周を
して帰国した。その歴史を隠したのが、随行でサンフランシ
スコまで往復しただけの咸臨丸である。
2010年の「遣米使節150年」を「咸臨丸150年」に変更できない
ので、日本史教科書から咸臨丸を外して「ワシントン海軍造船所
見学写真」を掲載した。」と、明言している。

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箕輪初心私見・・坂本龍馬・勝海舟は事実に近い小説の虚構?
が多い。2010年NHK大河ドラマ「龍馬伝」などは特に
虚構・脚色が強い。★福山雅治を起用は人気政策に他ならない。
私も市川先生や村上先生の意見に賛成である。
@「勝海舟」(1990年、日本テレビ年末時代劇スペシャル、演:風間杜夫)
A「竜馬におまかせ!」(1996年、日本テレビ、演:石丸謙二郎)
Bあの勝海舟が最も恐れた男、サムライ小栗上野介!
  〜世紀末を救うもうひとつの幕末ヒーロー伝説 
    (テレビ朝日1998年12月29日 演和泉元彌)
C「またも辞めたか亭主殿・・・幕末の名奉行:小栗上野介」
   (2003年1月3日、NHK、演:岸谷五朗)
D「龍馬伝 」(2010年、NHK大河ドラマ、演:斉藤洋介)
 坂本龍馬・勝海舟は・・・小説の虚構が多い。
  2010年NHK大河ドラマなどは特に虚構・脚色が強い。
  ★福山雅治を起用は人気政策に他ならない。  


小栗の残した物の規模が凄すぎる。
 勝海舟・坂本龍馬より、小栗のほうが歴史に取り上げれれるべきだ
 と思う。日本人?未だに薩長の歴史が継続ってことを・・・・
 歴史をみなおそう・・・。薩長土肥の歴史観から逸脱しよう。


★★ 「小栗上野介」の帰国後の業績&提唱 ★★
【1】横須賀造船所の建設の構想+業績。
@群馬:下仁田中小坂鉄山→A横浜製鉄所→B横須賀造船所

【2】@から、群馬下仁田中小坂の鉄鉱山開発の推進。

【○】Aへ運ぶ【江戸〜横浜】間の鉄道の建設構想

【3】A横浜製鉄所

【4】兵庫商社=日本初の株式会社の設立・
    ・大坂商人20人で発足。明治維新で廃止。

【5】築地ホテル=日本で最初の水洗トイレ(株式会社)

【6】フランス式陸軍制度の導入&訓練
★「坂の上の雲」の真田兄も入学。

【7】フランス語学校の設立

★★「小栗上野介」の帰国後の提唱★★
【8】ガス灯の設置の提唱

【9】郵便制度の提唱

【10】電信制度の提唱

【11】新聞発行の提唱

【12】鉄道建設の提唱・・・江戸〜横浜

【13】森林保護の提唱・・・

【14】中央銀行の設立の提唱

【15】商工会議所の設立の提唱

【16】小布施の船の株式会社の建設構想

次回、小栗上野介の関係は
●「小栗道子夫人の避難経路&子孫」
  平成23年(2011)7月18日には、小栗妻:道子を助けた
  群馬県旧六合村の山田(ヤマニ)家&墓詣でを実現できたのだ。
 
● 「太平洋を渡った日本人?」などを掲載したい。

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コメント(2件)

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こりゃあ納得だよ!矛盾が解けた!
もちろん以前から小栗の功績は評価していたが、細やかな部分は納得!村上先生の親友である我が恩師が昨年ネパールで事故死してしまって、ついに一度も一緒に東禅寺へ行けなかった事がとても悔やまれる。
小栗上野介復権°F願!
696
2011/08/14 23:57
師匠、コメントありがとうございます。小栗上野介の村上先生の考え&私の考えを理解して下さって、ありがとうございます。東善寺に一緒に行きましょう。明後日から9日間の小笠原に行くので、9月以降になりますが・・・。
箕輪初心から696さんへ
2011/08/16 17:42

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