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zoom RSS 箕輪初心■東京&群馬:小栗上野介A「遣米使節団」

<<   作成日時 : 2011/06/29 05:13   >>

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★『小栗上野介忠順』は徳川幕府の大老:井伊直弼の命令で、
幕藩体制の疲弊&欧米列強からの圧力の中、世界一周の旅に
出かけた。小栗上野介忠順が外国で吸収したことは大きかった。
アメリカで先進技術に驚き、刺激を吸収し、アフリカ・インド
・インドネシア・香港で、奴隷売買やヨーロッパ列強の植民地
政策を目の当たりにした。
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  (明治大学での講演会パンフレット)
★明治政府の薩長史観のため、咸臨丸&勝海舟ばかりが
評価されている。しかし、小栗上野介の果たした役割は大きい。
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■小栗上野介略年譜
・文政10 年(1827) 6月23日 江戸駿河台(現YMCA)に生まれた。
佐渡奉行の父:小栗忠高の長男である。
   幼名:剛太郎。
   幼い頃は病弱であった。・・・疱瘡にかかって、ぶつ顔。
・天保5年 (1834) 8歳〜 剣術・柔術・砲術・漢学を学ぶ。
   ※ガキ大将だったらしい。
 @儒学・・・「安積良斎」に入門。※小栗家の一部に開講。
安積良斎・・福島県出身。昌平坂学問所教授。開国論者
   門弟は2282人・・高杉晋作・岩崎弥太郎・福地源一郎
    楫取素彦(群馬初代県知事)・清河八郎・吉田松陰など
  ※塾友達・・栗本鋤雲=開国論者
 A剣術・・・「島田虎之助」に入門。
   島田虎之助・・3代道場:直新影流:男谷信友道場の師範代
   門弟・・・勝海舟など。
   島田虎之助→藤川整斎に師事し、免許皆伝。
 B砲術・・・「田村主計」
 C柔術・・・「保田助太郎」=開国論者 
 C学問・・・「結城啓之助」=開国論者
・天保11年(1838) 11歳 林田藩1万石藩主:建部政醇(まさあつ)に
   謁見。・・・※建部のお気に入りになった。
   ★タバコを吸っていたらしい。  
・天保14 年(1843) 17歳 はじめて登城。将軍に初見得。
   太刀・銀・馬などを献上。
・弘化4年 (1847) 19歳 部屋住から城中出仕。
第11代将軍:徳川家慶の親衛隊に抜擢。
(西の丸御所院番で、300俵・・150両)
・嘉永元年 (1848) 20歳 弓術大会で賞賛。
・嘉永2年 (1849) 21歳 林田藩1万石藩主:建部政醇(まさあつ)
            の娘:道子15歳と結婚。   
・嘉永3年 (1850) 22歳 「量入制出簿」(家計簿)の開始。
※妻が書いた可能性もあるらしい。
・嘉永6年 (1853) 25歳 ペリー来航@
・嘉永7年 (1854) 26歳 ペリー来航A・・・日米和親条約。
・安政2年 (1855) 29歳 父:小栗忠高病死。
             跡目相続→「又一」と改名。
・安政3年 (1855) 30歳 ハリス来航。
下田奉行:井上清直&目付:岩瀬忠震(ただなり)が会見。
※遣米使節の提案がなされた。
●攘夷論・・・幕府に大半。
●開国論・・・井伊直弼・小栗上野介
→日米修好通商条約
■将軍・・一橋慶福(よしとみ)
■安政の大獄・・・橋本左内・吉田松陰など
・安政4年(1857) 31歳  従六位相当になる。
・安政6年 (1859) 32歳  本丸御目付。
9月13日 井伊直弼は、遣米使節メンバーを発表。
 10月4日  ブルッフ大尉から、船の情報入手
 12月1日  日米修好通商条約の条約批准書交換使節の命令が下る。
従五位下諸大夫に任命。豊後守。
新見正興・村垣範正・小栗忠順がブルッフ大尉と打ち合わせ
1)正使:新見正興
2)副使:村垣範正
3)目付「監察」:小栗忠順
※小栗忠順の侍従者
 @吉田好三信成・・・小栗家の用人
A塚本真彦勉・・・・元建部家家臣。妻道子の付き人
B江幡(荒川)祐造尚賢・・常陸(茨城県小川町)出身
C三好権三義路・・・
D福島惠三郎・・・・
E三村広次郎秀清・・
F木村鉄太啓直・・・熊本藩士
G佐藤藤七信有・・・上野国権田村名主=農民・渡海日記
H木村浅蔵正義・・・備前御野郡木村出身



●日本発の世界一周旅行〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
安政 7年・万延元年 (1860)33歳
1月13日 日本:品川〜〜
   ※随行艦「咸臨丸」300t 99名
海軍奉行:木村義毅が提督。艦長:勝海舟。
  ・・福沢諭吉など
★ブルッフ大尉などアメリカ人がほとんど船を動かした。
     後半は香川県の塩飽水軍の末裔が活躍した。
     勝海舟はげろをはいていて、ほとんど役に立たなかった
     らしい?


1月18日(西暦2月9日) 築地講武所→品川
  ■条約文書交換のため、米艦ポーハタン号で品川を出帆。
   ※米艦ポーハタン号2415t
アメリカ人乗組員312名 日本人77名。計389人
1)正使:新見正興 2)副使:村垣範正 3)目付:小栗忠順

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  (東善寺:村上泰賢氏の冊子の表紙)
1月18日 日本:品川〜〜
2月1日  激しい雨。アメリカ人は親切だった。
 嘆き悲しんでいると「じきじきと」と励ましてくれた。
2月2日  日付変更線・・・★ここからは1日早い。
2月14日 ハワイ:ホノルル
    カメハメハ4世に謁見
 ●小栗は新聞社に訪問・・正確さ、かつ迅速さに感動。
 ( ※後、小栗は福沢諭吉と新聞発行を企画→失敗)
石炭補充・破損修理完了〜〜〜〜。
   ※桜田門外の変・・・井伊直弼の暗殺  
  ★水戸藩士・・・中居屋重兵衛が黒幕的な存在。
  ピストル20挺を水戸藩士に渡した。
  詳細は、「箕輪初心★★群馬の偉人:中居屋重兵衛」を参照

3月9日 サンフランシスコ
   ●「洋式の灯台を見た。祝砲がなった。」
海軍ドッグに入った。
●咸臨丸一行:木村・勝海舟・ブルッフ大尉が来た。
    ブルッフ大尉の話
  「咸臨丸は、1月13日品川出航〜〜〜大暴風〜〜
2週間前にサンフランシスコに着いた。」
    ・港で別れる。

閏2月18日 サンフランシスコ出航〜〜〜〜
閏3月5日  パナマ着     
    ●パナマ===パナマ鉄道:汽車(アメリカの敷設)
  「8両編成・・・4両目〜8両目が人を乗せる。」
    ●小栗は、鉄道が株式で運営されていること知った。
   (※後に、小栗は日本初の株式会社を設立)
   (※後に、小栗は鉄道の敷設を提唱)
    ==大西洋側
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    (写真は、現在のパナマ運河の上空からの撮影)
閏3月7日 ※米艦ロアノーク号3400tに乗船  
     ●小栗達は蒸気船ではなく、スクリュー船に乗った。
      パナマ:アルペンオール(コロン)〜〜〜〜

閏3月25日 アメリカのワシントン
      歓迎を受ける。音楽隊や花束・・・馬車で移動。
      ウィラーズホテル泊・・・・7階建ての
    ●小栗達は、水洗トイレを使用した。・・・
(後に、小栗は水洗トイレの築地ホテルを建設)
画像

  「食事は、鶏肉のスープ・牛乳・パン・コーヒー・
   茶・アイスクリーム・ワイン・シャンペン砂糖漬け
   カステラ・スイカ・オレンジ・ゆで卵・豚の丸煮・
   蒸した牛のモモ肉・鶏の肉・鯛や鱒である。」
  ●リハーサル・・
万延元年 (1860) (3月18日万延と改元)
閏3月28日  第15代:ブキャナン大統領に謁見。
  国書奉呈の儀式
 4月 3日  新見正興・村垣範正・小栗忠順が領事館に行く。
       外国事務宰相レウス・カスと会見
       
    日米修好通商条約の批准を交換。 
4月5日 ワシントン海軍所見学・・・大工場であった。
●小栗達は船・鉄砲・小道具・大砲・砲弾・銅・鉄製品
 &反射炉・溶鉱炉・スチームハンマーを見た。
(※後に、横須賀造船所を建設)
小栗は、「ネジ」を持ち帰った。  
     ネジが大量生産されていることを知った。
●小栗達は造幣局で作った金メダルをプレゼントされた。
●通訳見習い「トミー=立石得二郎」が大人気だった。
 「ヤンキーガールに追いかけられた。小栗が注意すると
 新聞沙汰になった。」
 4月20日 ボルチモア・・・歓迎・・・1泊
●消防演習でポンプを見た。トミーはホースを持った。
   〜〜川を船で越える〜〜〜
●汽車ごと運ぶ蒸気船に乗った。
 4月21日 フィラデルフィア着
     コンチネンタルホテルに宿泊
●トミーは大人気・・雑誌に掲載された。
●気球を見た。
●時計店の見学・・・貴金属・眼鏡など
 4月25日 小栗の発案で、金貨製造所の見学。
    ●金&銀の比率・・・日本の3倍半だった。
●金の分析方法に「No.・・・・」と答え、
 天秤ばかりで量った後、ソロバンを使って、
 正確に計算した。^^^^^^
 小栗はアメリカで「センサー・オグロ・ブンゴ・ノカミ
 ハ小柄ではあるが、生き生きとした紳士である。」とか、
 「シャープな男である。」とか、「ブラック判事」とか
  評価された。実際の実務は小栗がやっていた。
 4月28日 NY着・・・・ 大歓迎。
       NY州陸軍8000人の警護。
     (※後に、洋式軍隊の設置)
メトロポリタンホテル
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   (写真はセントラルパークのリス)
 5月8日 歓迎晩餐会・・・主席者10000人以上
  ※同じコースという意見もあったが、アフリカ経夕になった。
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   (市川先生の資料)
5月13日 ※米艦ナイヤガラ号4800t     
       NY出航〜〜〜〜〜
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   (東善寺:村上泰賢氏の冊子の表紙)
5月29日 大西洋ベルデ岬諸島着〜〜ポルト・グランデ          
      薪・水・食料を補給。
6月21日 ポルトガル領ルワンダ〜〜〜〜〜
薪・水・食料を補給。
●小栗達は奴隷売買を見た。1人10$〜20$
7月11日 アフリカの喜望峰
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   (写真はケープタウン)
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   (写真はアフリカ最南端・・・ホオジロザメツアー)
8月17日 ジャワ:バタビア・・オランダ提督に面会
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   (写真はジャカルタ・・・今でも寄港地風景が残存)
9月10日 香港・・・イギリスの植民地。
     ●アヘン戦争→アロー号事件
半植民地化に日本の危機感を持った。
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9月28日 日本:横浜帰着。冷たい歓迎であった。
●〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜渡海日誌より

★参考文献
@『小栗上野介忠順』市川・村上・小板橋共著
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A 日本の百人番外編 『小栗上野介忠順』
B 『小栗上野介忠順』・・・市川光一先生講演会2回
C 上州路『小栗上野介忠順』・・・
D 上州路復刻版『小栗上野介忠順』
E『小栗上野介忠順』村上泰賢著
  F『小栗上野介忠順』展示会などの資料など多数

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