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zoom RSS 箕輪初心★★群馬の偉人:高山彦九郎D現代版「旅日記」

<<   作成日時 : 2011/06/24 07:39   >>

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★高山彦九郎は、江戸末期の尊皇論者第一号である。
次第に幕府の高山彦九郎への詮議も厳しくなってきた。
寛政2年(1790) 5月 寛政異学の禁
・・・幕府は聖堂において朱子学のほか異学を講究することを禁止。
35) 「寛政江戸日記B」  5月1日〜6月7日
  江戸に滞在。・・房総・奥羽・蝦夷地の旅行の計画&
      江戸の木更津河岸から出発するまでの記事。
    ※大槻玄沢・・
    ※前野良沢・・
    ※桂川甫周・・
    ※佐藤源六・・
    ※長久保赤水・・・
   海外事情の種々の情報を入手し、諸友に見送られて出船。
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   (★東京タワー・・・なんでこれなの?)
寛政3年(1791)
  3月28日 緑毛亀を持参・・→仙洞御所を訪問
4月     林子平「海国兵談」刊行。

36) 「北行紀行」 6月7日〜11月30日
  「江戸―木更津―水戸―米沢―宇鉄―仙台―日光―前橋―中山道―京」
 ●江戸滞在中に房総・奥羽・蝦夷地を単身訪ねる決心。
 ●房総:木更津から津軽三厩を目指し長い旅に出発。
 ●水戸  藤田幽谷・立原翠軒・木村 顕・・・
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 【★水戸光圀・・・写真が違ってた。本間氏だった。】 
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 (★水戸講道館)
 ●米沢  のぞき太雅(米沢藩町奉行・中老・奉行)会談。
・・・上杉鷹山から差し入れ。
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 (★米沢:上杉鷹山の像)
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(★米沢城)
 ●津軽・・・アイヌの反乱。※蝦夷地に渡ることを断念。
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 ●南部領
 ●仙台  林子平と対談。天明の飢饉の惨状を記録。
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 ●帰途・・細谷に寄らず=====
 ●京都に急行・・・・・
   ・光格天皇新皇の居還幸の儀式を見るため。
 ●この旅以降、細谷には戻らず、最後の長い旅に出発へ。

37) 「寛政江戸日記C」  寛政2年12月1日〜寛政3年7月18日  
彦九郎最後の旅。
  ※京都・・伏見・・・京都
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  (伏見稲荷)
  ※京都・・鞍馬・・・京都
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  (鞍馬寺)★源義経もここか?
  ※京都・・比叡山・京都
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  ※京都・・伏見・・・京都
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 ■光格天皇に、「高山彦九郎」の名が轟く。・・・会見。    
 5月22日 「八木春堂が詩を持ってきた。」
 5月26日  富小路貞直卿に面会
 6月11日  芝山家で逗留。
 6月13日  平松家・綾小路家へ
 7月2日   大村彦太郎と会見
 7月17日  西洞院信庸卿より・・
        ・緑気亀摺り物500枚を使って尊皇運動を推進依頼。
 7月18日  →公家に会見。伏原宣篠(のぶえだ)・冷泉為泰
        ・岩倉具選(とののぶ)など大者6人と会見。
 7月19日京都発・・(山陽道)・・下関・・
  ●門司
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  ●筑前福岡
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  ●筑後久留米
  ●肥前長崎
  ●筑後・・・
  ●肥後熊本(推定)
  (※京都〜熊本間の約5ヶ月の日記は見つかっていない。)

寛政4年(1792)
37) 「筑紫日記@」 1月1日〜7月5日
(ただし、6月5日末から10日前半欠)
 ※熊本→人吉→高鍋→水俣→鹿児島→宮崎→高鍋
  1月1日 熊本 藪弧山(儒学者・熊本藩時習館教授)宅で元旦。
      ・高本紫めい(儒学者・熊本藩医・熊本藩校時習館教授)
      ・富田大鳳(熊本再春館師範・儒医)と交遊。
  2月6日 堅志田・・・釈迦院・・・岩下・・・
  2月9〜23日 熊本・・・
  2月24日 熊本出発・・・宇土・・ 松橋・・小川・・宮地
  【熊本城】
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  2月28日    八代・・・3日間
 閏2月2日     坂本・・・ ~の瀬 小川 
  2月5/6日 人吉
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【人吉城】
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(五木村)
        ・・(米良街道)
          ・湯前・・小川・・
         ・九州山脈を横断・・・日向深山の米良・・・
 2月12〜15日 日向:高鍋・・美々津・・坪谷・・名木・
           ・尾崎・・・大河内・・・
  2月21・22日  市房山登山 ★行ったけど・・・。
            ・・再び九州横断・・(人吉街道)
  2月24・25日  人吉・・佐敷・・(薩摩街道を南下)・・水俣
  2月29日〜3月2日 野間の関・・・
  3月3日・4日    水俣  
  3月5〜10日    米ノ津
  3月11〜19日   出水 
  3月20日      阿久根・・高城・・向日・・市来・・伊集院・・
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     (★薩摩焼代14世沈寿官先生・・・写真許可)
  3月25日〜5月2日  鹿児島・25代藩主:島津重豪
       ・藩士・朝鮮人子孫・琉球人と交友の日々50日余。 
  5月3日     谷山・・喜入・・・山川
  5月6日     開聞岳
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     (★○○直ちゃん、顔出しちゃったよ。許可を得ず。)
  5月7日・8日  坊ノ津・・・川辺・・
  5月10〜24日 鹿児島     
  5月25日    鹿児島出発・・加治木・・宮内・・国分・・台明寺
  5月30日〜6月2日 霧島山頂・・・財部・・
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   (★韓国岳山頂・・・直ちゃん、ありがとう。)
  6月4日〜    都城(記録なし)
  6月10日    飫肥・・・鵜戸・・・折生迫・・・
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  (飫肥)
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  (鵜土)
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  (宮崎)
  6月13〜22日  宮崎
  6月23〜25日  佐土原・・・都於郡・・・
  6月27日     法華岳・・・高岡
  6月29〜30日  宮崎(記録なし)・・・・・
  7月1日      佐土原
  7月2〜4日    高鍋(記録なし)

39) 「筑紫日記A」 7月12日〜8月26日 
  ※延岡→竹田→熊本→相良・・高鍋・・美々津・・富高・・延岡(推定)。
   延岡・・・(西へ)・・・・・・
豊後:竹田。
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   (滝廉太郎の像)
   肥前・薩摩・大隅・日向という行程からすれば、
   豊後・豊前方面の遊歴に移るべきだが?
   3回目の九州山脈横断を敢行・・熊本に帰って滞留。
  (奇跡探勝? 彦九郎の課題?)
  (※八方岳登山の記録以後が欠如)
  
 4回目の九州山脈横断・・・豊後遊歴。
  7月12〜13日  延岡・・佐土原・・・
  7月15〜16日  高鍋・・小峯・・船尾・・
  7月16・17日  三田井(高千穂峡)・・高千穂の神蹟を探訪
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  7月18日    下野・・五カ所・・名子園・・井手ノ上
           (祖母山登山口)・・~原・・・
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     (★百名山:祖母山山頂)
  7月23〜24日   豊前:竹田・・
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   (★大分県竹田市:岡城)                    
  7月25日〜   坂梨・・・大津・・・
  8月1日〜20日 熊本・・・
  8月21日    山鹿・・・相良・・・・
  8月26日〜10月半ば  豊後:日田  
            豊後(大分)日田の「広瀬淡窓」父の広瀬桃秋を訪問。
  10月19・20日  豊前:竹田・・・
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   (★滝廉太郎「荒城の月」)
  11月15日   佐伯・・臼杵・・???・・佐賀関・・
           ・?????・・・府内(大分市)・・・
  12月?日     小浦
  12月28日    中津・・???・・豊前中津に滞留80日?
 ※5月  江戸幕府、「海国兵談」を絶版。林子平が蟄居。

寛政5年(1793)  
1月   豊前中津に滞留80日?・・・★福沢諭吉?
 3月   ?????
 4月   豊後(大分)日田の「広瀬淡窓」父の広瀬桃秋を訪問。
      5回目の九州山脈横断を敢行・・・日田に再来  
     九州総監:日田代官に不審を招き、逐電。
       ・これ以降、彦九郎は身の危急を感じたのか。
      (※肥後北部からこの日記までの8ヶ月の日記は不明。)

39) 「筑紫日記B」 5月3日〜6月27日 
   「久留米―大宰府―志賀島―博多―久留米」 
        ※50日余の彦九郎最後の日記
 5月3〜6日  久留米に滞在・・新庄・・久留米・・原田・・。
 5月8〜21日  →大宰府
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   (★天満宮)
 5月22日   山口・・長尾・・飯塚・・小竹・・(直方)・
         ・木屋瀬・・・二村・・・
 5月29日〜6月3日  山鹿・・・
 6月4日      芦屋・・・鐘崎・・福間
 6月9日      志賀島・・・
 6月10・11日  筑前:博多・・・針燿?・・・
 6月13日     筑後:松崎
 6月14日     松崎で薩摩藩:赤崎開門(薩摩藩校造士館教授・昌平黌経学)に会談。
 6月15日     清水・・・新庄・・・松崎・・・
 6月19日     久留米:森嘉膳(儒学者・儒医)宅に逗留。
 6月27日     久留米:森嘉膳(儒学者・儒医)宅で自刃。
 6月28日     高山彦九郎、朝8時過ぎ没。

寛政6年(1794)
4月21日  叔父:剣持と長男儀介・
         ・久留米の遍照院で彦九郎の法要。
寛政7年(1795 )
寛政8年(1796)
11月18日 唐崎士愛(播磨国龍野藩士)が彦九郎の遺志を継ぎ
同志を糾合。→竹原庚申堂で切腹。
寛政8年(1797 )
享和2年(1812) 備前国島原の儒医:西道俊 
寺町遍照院の彦九郎墓前で割腹自殺。

★参考資料・・高山彦九郎博物館で、戴いた資料。購入した資料
     博物館HP
     「高山彦九郎」正田喜久(みやま文庫) 

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