城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行

アクセスカウンタ

zoom RSS 箕輪初心●神奈川:小田原城=百名城

<<   作成日時 : 2011/06/19 05:52   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 2 / コメント 0

天正18年(1590)豊臣秀吉は、小田原城攻撃を行った。
一説には、25万人とも言われている。攻撃の途中、
伊達政宗も遅れて参加し、北条氏の開城したことに
より、7月6日に天下統一が完成した。

■小田原城には中学3年の修学旅行で来たが、記憶はない。
■訪問記・・・平成19年(2007)10月8日
西表ダイビングが台風のため中止となり、伊豆ダイビングと
 城巡りが目的の2泊3日の旅行に変更した。 
○小田原城の駐車場を探すため、市内大手町などを見た。
○小田原城の駐車場に停めた。

○坂道を上がると5分で本丸天守台に着く。
画像

画像

●天守閣に登った。
画像

○石垣一夜城方面を見た。
 ★石垣一夜城ができ、籠城した3万人はびっくりしたであろう。
 そして、小田原評定が毎日行われたのであろうと想像した。
画像

 ★海からは、毛利水軍&九鬼水軍が来ていたのであろう。
画像

○本丸で外人が武者姿で記念撮影をしていた。
画像

○ゾウを右にみながら、大手門に向かった。
画像

○本丸門
画像

画像

○二の丸から本丸への階段
画像

●小田原城博物館
  北条の歴史がわかりやすく、紙芝居ドラマに撮影されていた。
画像

○看板
画像

●ボランティアの方に箕輪城との関連を聞いた。
 でも、知らなかった。
画像

○壁の表示
画像

○銅門に行った。
画像

○堀から銅門を見た。
画像

★箕輪城と同じ構造の「三の丸の堀の橋台」が
 見られなかったのが、残念。
小田原城:北条氏5代の中心地となった城

小田原城の歴史
・15世紀後半 西相模一帯を支配していた大森氏が小田原城を築城。
        ※小田原城の位置は不明。
           県立小田原高等学校東の高台付近?
・明応4年(1495)伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)が大森氏を攻略。
        →北条氏の本拠地の城。
・天正15年(1587) 薩摩の島津氏を屈服させた豊臣秀吉は
  天下統一の集大成として関東以北の平定へと乗り出した。
  豊臣秀吉は当初、直接的に武力を用いずに小田原北条氏を
  傘下にいれようと考えていた。
・天正16年(1588) 豊臣秀吉は小田原に使者を送り、北条
   氏直の上洛を求めた。
   北条氏直の代わりに上洛した叔父の氏規は、聚楽第に
   おいて豊臣秀吉に謁見。
   北条氏規は「真田昌幸の居城である上野国・沼田城を
    小田原北条氏に譲与する条件ならば、氏直の上洛に
    応じる、」と申し述べた。
・天正17年(1589)豊臣秀吉の裁定 
   沼田城を含む利根沼田の3分の2は後北条氏。
   後北条氏は沼田城の城代に猪俣邦憲。
   名胡桃城を含む残り3分の1は真田氏の領地。
 11月北条氏邦の家臣:猪俣邦憲は南西の榛名峠城
( ★4日前のブログ:塩原太助の生家の上)
    から名胡桃城を奪取(名胡桃事件)。
   ※猪俣邦憲の単独行動説、
   ※北条氏邦の命令説
   ※徳川家康の陰謀説(真田太平記)などあり。
   憤慨した豊臣秀吉は、11月24日、小田原討伐を宣言。
   →豊臣秀吉の小田原征伐の口実。
   
 ※古文書類からも小田原北条氏は秀吉との合戦に備えて、
    国々の防備を固め開始。
 ▲北条氏は山の中腹や海岸線などに総延長9kmに
    及ぶ土塁や空堀を構築。
  町屋や農地も城下に取り込んだ巨大な城構を建造。
  (日本最大の中世城郭)
  ※土塁や空堀は鉄道を挟んだ西側の丘陵地、
            天守閣裏の遊園地付近に残存。
  
○小田原城(北条氏政)・・・・・・500騎
(北条氏直)・・・・・・700騎
  ○上州:
    ・松井田城(大導寺政繁)・・1500騎
    ・西牧城(多米周防守)・・・
    ・倉賀野城(塀和伯耆守)
    ・箕輪城(北条氏邦他)
  ○武州・・・
    ・鉢形城(北条氏邦)・・・・5000騎
    ・八王子城(北条氏照)・・・4500騎
・岩附城(北条=太田氏規)・・500騎
・江戸城(遠山)・・・・・・1000騎
  ○駿河・・・山中城(松田・途中から多米)・1500騎
  ○伊豆・・・韮山城(北条氏規)・・500騎など
合計・・・・・・・・・・・・・34250騎
(北条家人数覚書・・・秀吉の調べさせた人数
    毛利家文書:毛利博物館蔵)
   
  15歳〜70歳までの男性ほぼ全員が篭城。
  ◎小田原北条氏の内部では、野戦・篭城戦か議論。
   →小田原城へ兵力を結集して篭城策。
   →約5万5千人の兵が小田原城に篭城。
 ※最終的に30000人(関東1の城下町)で籠城。
  北条氏は開城。
 ★箕輪城は井伊直政の兵力の逆算で約22000〜25000人。関東2位

・天正18年(1590)
 3月1日、豊臣秀吉は25万人(22万人説)の軍勢を率いて
  自ら小田原へと向った。
  ◆徳川家康・・・・・・・・・・・・・東海道先鋒
  ◆前田利家・上杉景勝・・・・東山道(北国軍)先鋒
  ◆毛利水軍・九鬼水軍などの水軍。
  ◆長束正家を総奉行とする計17名の兵糧奉行・
    ・後方支援:大量の米や物資を買い付け海上輸送。

  ◎小田原城内では、小田原評定が毎日のように行われたが、
    戦争を継続するか否か、結論がでなかった。
  1)北条氏規や太田氏房など一門衆からも降伏を薦める声が
       上がり始め、城中は混乱。
  2)北条氏邦は、鉢形城で、徹底抗戦を主張し、
       勝手に小田原城を離脱。
 
 豊臣秀吉本軍・徳川家康軍10万人
3月29日 山中城(静岡県三島市:国史で100名城)落城
4月2日 石垣山城(一夜城)の築城開始。
4月3日 箱根湯本から小田原へ。早雲寺本陣。
      豊臣秀吉軍は、包囲して兵糧攻めを決定。
  ※数万人で石垣山一夜城の築城開始。
   「一夜で張りぼての城を築いて、小田原北条氏の戦意を
     喪失させた。」という話は誇大。
  ●石垣山一夜城説明板・・・「6月中旬から下旬にほぼ完成。
    工事には約80日を費やした。」80日前の逆算・・?
    4月初旬〜6月中旬(80日〜88日とか?)
4月4日〜豊臣秀吉は、長期間の小田原城攻囲開始。
    軍兵の士気が下がることを防ぐため。
   @京都や堺から商人や遊女などを招き、町屋を建設
    →攻城戦を兵士の慰安。陣中では、酒宴・遊舞も自由。
   A周辺の山野で、野菜や麦畑を作ることを許可。
   B淀君や千利休を招き、能役者を呼び茶会
   C天皇の側近・勅使を招いて、権勢を誇示。
4月21日 玉縄城(北条綱成)が落城。海から毛利水軍。           
      (小田原城博物館)

5月?日 館林城は開城・・・・・・・・石田三成2万で攻撃
5月?日 金山城も落城廃城・・・・・・・・・・・石田三成
5月20日 岩槻城が落城。
6月26日 豊臣秀吉が石垣山一夜城から鉄砲の一斉射撃威嚇。
6月中旬 ・武州忍城の開始。水攻め失敗・・・・・石田三成 
       →前田勢(大導寺政繁が前田利家の道案内役。
        北条家の領内の忍城を攻撃。
6月下旬 韮山城(北条氏規)(静岡県伊豆の国市)開城
6月29日 北条氏は織田信雄を介して降伏。
7月5日  小田原城(北条氏直・氏政)が開城決意。
    ※30000人(関東1の城下町)で籠城。
7月6日  小田原城は開城。
      豊臣秀吉は、和議に当って要求・・・
7月11日 北条氏政・北条氏照が切腹。
      大導寺政繁・松田憲秀が切腹。 
→北条氏直は高野山送り。

 →江戸城の西の守りとして重視。大久保忠隣が入城。
  本丸や二の丸、その周辺の三の丸の一帯が近世城郭に改造。
寛永9年(1632)〜貞享2年(1685)まで  
     稲葉氏・・・幕府からの援助。
     大久保氏が再び城主。
     震災による建替えや修復を繰り返し、幕末まで。
                                     
(★参考文献・資料・・小田原城跡案内板・パンフレットより編集)
鉢形城開城:鉢形城博物館

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(2件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
箕輪初心★松尾芭蕉D『東海道寄り道』&【野ざらし紀行@】
★「八百屋お七」の大火で、芭蕉庵を失った松尾芭蕉は 貞享元年(1684年)8月、門人:千里(ちり)を伴い、 伊勢神宮詣で→伊賀上野:前年亡くなった母の墓参り を目的に→大和→吉野→京都→美濃→木曽などを半年 間の旅に出た。翌年4月江戸に戻った。この紀行文は出 発時に詠んだ「野ざらしを 心に風の しむ身かな」 の句から『野ざらし紀行』と呼ばれている。  ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2012/07/19 06:04
箕輪初心★【奥平一族の歴史】上野(群馬)→三河→上野→
★奥平氏は、鎌倉時代には上野国の吉井(現高崎市吉井町 奥平)にいた。室町時代には三河北東部の作手地方に移住 した。戦国時代には三河の長篠城を中心に活動した。長篠 城の活躍を機に徳川氏の重臣となった。今川氏→織田氏→ 松平氏→武田氏→徳川氏(松平)に従属し、戦乱を乗り切 ったのだった。そして、下野の宇都宮城主→大分の中津城 主になったのだった。 ...続きを見る
城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー...
2012/11/27 06:07

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
箕輪初心●神奈川:小田原城=百名城  城・陶芸・ハイキング・ダイビング・スキー・旅行/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる