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zoom RSS 箕輪初心■山口「山口・萩」&島根「津和野」の思い出&雑感

<<   作成日時 : 2011/05/28 05:57   >>

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■訪問記・・昭和63年(1983)の夏の職員旅行である。
2泊3日で「山口・萩・津和野」を訪問した。
ふと、消失したザビエルの肖像・山口ザビエル教会の写真が
あったら、貴重だ思い、昔の写真を見直した。なかった。残念。

★でも、最近はどうなっているのだろうか?
@『山口に花開いた大内文化の遺産』は世界遺産候補は如何に?
A萩の英雄:吉田松陰や高杉晋作の記念館や萩焼は如何に?
B津和野の風景は如何に?

★写真は、約30年前の一眼レフをコピーしたものである
 古くて、ごめんなさい。
【1日目】
 ○高崎・・羽田空港→福岡空港→(バス移動)
 @福岡:太宰府天満宮・・★2回訪問。 
 A山口:瑠璃光寺・・・★きれいな五重塔のある寺である。
    日本3名塔の一つに数えられる国宝瑠璃光寺五重塔。
    屋根のラインが反り上がっている感じがいいのだ。
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(※写真がきれい。絵はがきかなんかのコピー?)
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  ※最近の調べ・・・・(★山口薫の親戚の方の話)
   画家:山口薫の先祖は山口県の大内氏が先祖だったらしい?
 
 B山口:ザビエル教会・・★一眼レフの写真がない
  ★ザビエルの肖像画&ステンドグラスが凄かった。
★数年前に火災で消滅した。世界遺産はダメか?

  ※最近のしらべ・・・Hp
「平成3年(1991)9月5日におきた聖堂火災で焼失。」
「山口ザビエル記念聖堂に飾られていたザビエルの肖像画は、
 約200年前に描かれ、スペインのトレドの教会にあった
 ものの模写した作品である。」とあった。
 ★トレド教会にいったが、ザビエルの写真がない。
   世界3大名画の「オルフェウスの埋葬」はあったが・・・。
 

 ○湯田温泉(泊)・・・★記憶は、温泉の前の通りである。

【2日目】
 C秋芳洞・・・・カルスト地形・日本1の鍾乳洞。
後日、チェコのカルストにも行った。
「バドワイザーはチェコからビール会社が買った地名だ。」

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  ※クロアチアの鍾乳洞も凄かった。目の見えない鰻がいた。
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◆萩の散策
 D●萩城跡・・・・・★毛利家の城。
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※最近の調べ
・吉田郡山城→広島城→萩城と、毛利家は大変な歴史だ。
・毛利元就の時は山陽&山陰の10ヶ国(長門・周防・石見・安芸・
   備後・備中・出雲・伯耆・因幡・隠岐)を120万石から領有。
 ・関ヶ原の戦・・毛利輝元が豊臣氏方の大将だったので、
        防長2国に移封。36万9千石に減封。
 ・慶長9年(1604) 萩城の築城開始。完成まで4年。
★最近、映画「釣りバカ日誌」の萩編を見た。
 
 E長屋・・★すげえや。ここは幕末の発祥の地だ。
   ワクワクする。
※最近の調べ
  菊屋横丁は、山口県萩市春若町から南古萩町に至る全長0.5km
  萩藩の御用商人:菊屋家住宅の脇を通る横丁である。
  萩市を象徴する道で、旅番組、ドラマ、映画に登場する。
  日本の道100選。白壁(=なまこ壁)が美しい。
(★参考・・・ウキペディアHp)
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 F高杉晋作の家・・★「奇兵隊」の設立で有名。
※最近の調べ
→奇兵隊の60%はあぶれ物である。
・群馬では、間引きされるはずの「893=やくざ」である。
国定忠治だったり、大前田の英五郎だったりする。
・山口では、行き場のない荒くれの集団である。
・慶応2年(1866) 長州奇兵隊を約100名が脱走。
         →倉敷代官所と浅尾藩(総社市)を襲撃。
 東北では、非道の限りを尽くすひどい奴らだ。
「世良修造」はなどは、新潟・福島では極悪非道人である。

   (★参考文献・・・まんが高杉晋作・東大教授?の論文)     
 ★奇兵隊をいいイメージだけで、歴史を捉えてはいけない。
   
 @例えば、『小栗上野介忠順』が日本の近代化に貢献したのに、
   明治政府の薩長史観のため、いいイメージで、歴史を語られない。
   ・勝海舟のみがクローズアップされているのが現状である。
    日本〜〜サンフランシスコのみの往復だけである。
    ほとんど外人の船乗り&塩飽水軍の水主に助けられ、自分はげろ
    はいていただけだったらしい。活躍はなかったと記録にある。
   ・でも、明治政府は「日本人初の航海」などと公表した。
   ・小栗上野介忠順らは、吉田松陰の乗ろうとした「ボーハタン号」で、
    品川〜サンフランシスコまで行った。
    →パナマ・・汽車・・ィラデルフィア・・・NY・・・アフリカ・・・喜望峰・・・
    インド・・バタビア・・香港・・・上海・・・品川の世界一周をしてきた。
   ・そして小栗は、横須賀造船所・日本初の株式会社・築地ホテルなど
    を造った。
   ・近代化の素地は、大隈重信親戚:小栗上野介の発想が
    受け継がれたに過ぎない。東郷平八郎も大絶賛した男だった。
   ・が、明治政府は歴史から抹殺されたのだ。
   ・・・もっとも、西郷が江戸に火を放ったことで、小栗が薩摩藩邸に
   殴り込みをかけたので、後日、薩摩は小栗を群馬で抹殺したのだ。
   日本の歴史が150年もの間、薩長史観が語り継がれてきてきてい
   るのは確かだ。これは、間違った歴史史観である。
   為政者側の歴史観の他に別の側にたった歴史観があるはずである。
   二面性、あるいは別の観点から歴史を考えることも大事である。
  A例えば、「川中島の戦い」でも、武田側と上杉側では見方が違う。
   多くは「甲陽軍艦」に書かれた歴史が中心である。
   
  と私こと:箕輪初心は考えるのである。
  なんて、偉そうに真面目くさって書いてみた。

 
 G木戸孝允の家・・・★桂小五郎は五箇条の御誓文の起草者。
※最近の調べ
  ・吉田松陰に師事。江戸で剣術や西洋兵学を学ぶ。
  ・尊皇攘夷運動→藩の重職に就き、討幕を推進。
  ・慶応2年(1866) 薩長連合を締結。
   王政復古のクーデター後、五箇条の誓文草案を起草。
   版籍奉還の実現に尽力。
  ・明治3年(1870)6月参議。
  ・明治4年(1871) 岩倉遣外使節団に副使。
  ・以後文部卿、内務卿、地方官会議議長、内閣顧問等を歴任。
  (★参考文献・・・まんが木戸孝允)

 H松蔭神社・・★吉田松陰の幕末の影響力は偉大だった。
  ★吉田松陰は勤王論者:高山彦九郎の影響を受けた。
  そして、多くの明治維新の活動家を輩出した偉人だ。
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  ※最近の調べ 
  ・父は杉百合之助。山鹿流兵学師範:吉田家の養子。
  ・藩校明倫館→佐久間象山(松代藩)に砲術と蘭学を学ぶ。
  ・安政元年(1854)下田港のアメリカ軍艦:ポーハタン号
  (小栗上野介の世界一周の船:品川→サンフランシスコ)
   に乗り込もうとしたが、拒絶され投獄。→萩の野山獄。
  ・安政2年(1855) 杉家に幽閉。
 松下村塾・・・高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など
    約80人の弟子→幕末から明治に活躍した人材を育成。
  ・安政6年(1859) 安政の大獄・・・江戸で刑死。
  (★参考文献・・・まんが高杉晋作・まんが吉田松陰)
 
  
 I大照院・・・毛利家の菩提寺。
  ・石灯籠は603基のがあるそうだ。
(★参考文献・・・パンフレット)
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世界の頭脳と
 
 J萩焼・・・大鵬窯
  ★未だに使っているのだ。
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※最近の調べ・・・★橋村の話
  ★高知県陶芸家:橋村の知人の山口大学教授はどっちかな?
  萩焼日展会員・現代陶芸展審査員:厚東孝治氏 
   萩焼窯元泉流山:日展審査員:吉賀將夫氏
 
 
 ○萩市内(泊)  

■津和野訪問記・・・と、いっても記憶は定かではない。
 @殿町通り・・白壁格子窓の古い城下町の風情を味わう。
      掘割にはたくさんの鯉が群れ泳いでいる。
 A太皷谷稲成神社・・・日本五大稲荷のひとつ。
  参道は、朱塗りの鳥居が見事。
  津和野藩7代藩主:亀井矩貞が京都伏見稲荷を勧請。
 B森鴎外の生家・・・11年間過ごした家。
   現在は、「森鴎外記念館」がある。とHpにあった。
  1862年 津和野藩典医:森静夫の子。森林太郎。
    森静夫が旧藩主:亀井茲監に招かれ、上京。
    東京帝国大学医学部卒業。
  ドイツ留学4年間・・・
 ※インドネシアのManadoであった湯本氏
  ダートなロードレーサー:ゆもけい=おにけい氏である。
「うちの祖父が森鴎外と一緒の写真がある。
 ドイツに官費で2回留学している。
湯本家は母方の姓で、自分以外3代の医者の家だ。
東大医学部で、東大?千葉大の学長を務めた。」らしい。
 
  帰国後、軍医と文人の二足の草鞋。
  ・日清戦争従軍・・
   ★NHK「坂の上の雲」では、正岡子規にあった。  
  ・日露戦争に従軍→陸軍軍医総監・第八代陸軍省医務局長。
      小説、戯曲、 詩、翻訳などで活躍。
  『舞姫』『雁』『高瀬舟』『山椒大夫』『阿部一族』
  『ヰタ・セクスアリス』等
  ★『山椒大夫』・・京都の「天の橋立」近くに館があった。 

C西周の生家・・21歳までの家。森鴎外の親戚。
   茅葺きの母屋と土蔵、土塀が残っていた。
★哲学者としてしか記憶がない。

 D永明寺・・吉見、坂崎、亀井氏の津和野城主の菩提寺。
 森鴎外の墓。
 遺書「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」
 を受けてのことであろう。
 ★ひっそりとしていて、訪問客は私だけだった。

 E●津和野城の遠望・・・★この時は、城より寺だった。

 ○島根:津和野→山口:山口
 ●山口:下関・・・「フグ料理」を堪能。
  ★思い出した。おいらの甥っ子は「フグ料理の免許を持っているのだ。 

 ○福岡:福岡空港・・→羽田空港→高崎・・・家
★もう一度、@世界遺産候補:山口、A幕末の英雄を生んだ萩&萩焼
  B森鴎外の津和野 Cふぐ料理の下関を旅したい。
  ・・・歴史・萩焼・ダイビングで行きたいな。いつのことやら〜〜〜。


■津和野城の歴史
・正中元年(1324)
   吉見頼行、頼直父子が30年かけて築城。
   吉見氏は大内氏家老として傘下。
   主家:大内義隆が家来の陶晴賢に敗北。
・弘治3年(1557)
   10代吉見正頼は毛利元就と計り陶晴賢を滅ぼす。
   吉見氏は毛利氏の傘下。
   西石見二郡・長門阿武郡を所領。
・慶長5年(1600)
   関ケ原の戦→西軍が敗退。
   14代吉見広行は毛利氏の萩移封で城開け渡し。
   →坂崎直盛(備前宇喜多氏の一族)が入封。
    城修築・城下町・新田開発・和紙原料:楮苗栽培・
    灌漑用水路の建設・鯉の養殖などに貢献。在位16年。
・元和2年(1616)坂崎直盛が千姫事件で自害。坂崎氏改易。
・元和3年(1617)亀井政炬が入封。
   以後、亀井氏が藩主。明治まで。
・明治4年(1871) 廃城
   (★参考文献・・・日本の城・日本名城集ほか)


■いい旅夢気分「津和野」前田吟&?・・・・平成23年(2011)5月18日
1)前田吟は11歳まで防府で過ごす。
2)寅さんの撮影のロケ地「37年前のマドンナ:吉永小百合」
※津和野・・・「ツワブキの多い野原」の意味
@堀割の鯉・・・400疋
A森鴎外の家
Bロケ地の思い出
C石心邸・・・「うずめ飯1675円」=倹約の時代に下に混ぜた。
D稲成神社・・供物150円を求めて参拝。北の鬼門の神社
1000本のお礼+  263本の鳥居
※日本5大稲荷の1つ
E山口・・・萩   

★後日、群馬の「高山彦九郎」&「小栗上野介忠順」を詳しく語りたい。

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