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zoom RSS 箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」

<<   作成日時 : 2011/04/07 05:58   >>

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箕輪初心◆群馬:高崎の稲作と用水路C「江戸時代」
★地理的に高崎近辺の一部の地域住民+マニアックな人しか分からない。
こんなつまらないマニアックなブログには、お客さんはほとんど来ないが、今回は、
@天狗岩用水(前橋)とA滝川用水(高崎滝川)・B北原用水(旧群馬町)
C金ヶ崎堰用水&D寺尾堰&D根小屋堰・・・高崎藩:井伊直政&?
F三ツ寺の堤&G大日堰(高崎大八木)・・・高崎藩:安藤対馬守
H右京の「泣き堀」(榛名山系:するす岩)・・高崎藩主:松平右京
I小高用水(高崎市:旧倉渕村)・・小栗上野介などを掲げることにする。

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◆江戸時代初期
20)天狗岩用水(越中堀&代官堀=滝川用水)
  →染谷川&利根川の間の台地へ 
(天狗岩用水の総社藩:植野堰→高崎藩の滝川→関東郡代:玉村→芝根一帯)
 ■訪問記・・・
 ★慶長7年(1601)〜慶長9年(1604)総社藩主:秋元永朝により開削された越中堀
   (利根川→総社→高崎藩領)
   関ヶ原の戦い後、総社領主となった秋元永朝は
   @天水に依存している田畑に用水を供給して、新田開発の計画を立案。
   A総社城の用水+堀+城や城下町の放火用水の目的
   しかし、水位の低い利根川の遙か上流から取水する大事業であった。
   白井城主:本田広重の許可を得て、漆原村(現吉岡町)から用水を引くことにした。
   『天狗来助』伝説・・・「越中堀の工事の際、取水口の付近の大勢の人夫が力を
合わせても取り除くことができない巨岩があった。
その折、一人の山伏が忽然と現れ作業を助けたら、岩が動き水路ができた。」
と言われる(伝)。
   秋元家家臣と農民が協力し、総力をあげて事業を成就。
   光厳寺の「力田遺愛碑」は、後に農民が用水確保に努めた秋元長朝への感謝を
込めて建立した。
 @天狗岩用水と五千石用水の分岐(前橋市総社町)
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21)滝川用水→利根川・井野川のど真ん中へ
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 ・戦国時代・江原一族は和田の同心として滝村(高崎市上滝町・下滝町)を支配。慈眼寺砦。
 ・永禄3年(1560) 江原源左衛門は慈眼寺の北200mに館(高南中学校東)で生まれた。
 ・永禄6年(1563) 和田業繁が武田信玄に配下和田氏の家臣となり、江原一族も同調?
 ・天正10年(1582) 3月に織田家家臣:滝川一益の支配
         →6月に北条氏3男:北条氏邦の支配
         江原源左衛門は22歳時、農業を営む地侍になった。
 ・慶長7年(1602)〜慶長9年(1604) 総社藩主:秋元永朝により開削された
    越中堀に協力。滝村の田んぼには、水は少なかった。
 ・慶長10年(1605) 関東代官(玉村):伊奈忠次が玉村引水計画を立てるが失敗。    
   ★井野川下流の東一帯は台地であるため、開墾しても水が引けず困っていた。
    江原源左衛門は植野堰からの越中堀から滝村に用水を引くことを考えた。
    そこで、玉村にいる関東郡代:伊奈忠次に協力を求めたようである。
    →共同利益のための為政者側からの利益も多かったが、為政者のために働く
    庶民の味方:江原源左衛門はやっぱり偉人なのだろうか?
 ・慶長12年(1607) 江原源左衛門は48歳時、総社藩:秋本長朝に用水計画を陳情。
    →江原源左衛門は総社藩:秋本長朝に「用水開発人」に任命。→用水工事開始。
 ・慶長15年(1610)  玉村在住の関東郡代:伊那忠次により開削された代官堀の完成。
    江原源左衛門は関東郡代:伊奈備前守忠次に協力し、資材をなげうって用水を
    完成させた。「代官堀の工事に際しても、難工事に直面しているときに山伏が
    仕事を手伝った。」と言われる(伝)。後にこの山伏は天狗ではないか?と言い
    伝えられるようになり、天狗岩用水と呼ばれるようになった。
   ・・・72ヶ村1836町歩の水田に水が行き渡った。
   →江原源左衛門は滝村の名主になった。
 ・明治27年(1952) 天狗岩用水で一般供給の水力発電所が
            群馬県で最初、日本で5番目に作られた。
 ・現在  水力発電開発のモデルになっている。(総社町総社城の西木戸)
           (群馬町誌・高崎市史・ウキペディアより編集)
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 ■訪問記・・・
 @吉岡町利根川板東大堰取水口・・・現在の天狗岩用水取水口
 A吉岡川と合流・・・・
 B吉岡町・・・・・・・江戸時代の取水口・・・?・利根川に沿って南下。
 C午王頭川横断
 D前橋市総社植野堰・・・
 ●五千石堀と分流・・・戦国時代の勝山城付近の水田へ・・・
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  →宝塔山古墳近くで再び合流する。
 E総社城の西木戸の堀
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 F愛宕神社&高崎6中の間
 G宝塔山古墳西隣+上越線
 H前橋市総社町
 I前橋市大友町の葬儀場前
 J前橋市石倉町西(本当は大友町線路西)
 K新前橋駅の西
 L前橋市古市町
 M前橋市箱田町
 N前橋市川曲町
 O高崎市京目町
 O高崎市島野町
 P高崎ICの東500m・・・
 Q高崎市宿横手町・・・利根川放水路
 R高崎市上滝町・・・・・井野川&利根川の間の地域
 S高崎市下滝町・・・・・
 ○関越自動車道に沿って・・・・
 ○玉村町の利根川西地区の全域の田んぼへ

22)北原用水→旧群馬町(高崎市旧群馬町北原)
 ・慶長13年(1608) 総社藩主:秋元永朝により開削された堀。
   総社の松田彦兵衛・半兵衛父子に命じて、造らせた。(群馬町誌より編集)
   (??川→北原→・・・・染谷川)→後の「中群馬用水」へ 
 ■訪問記・・・北原用水→現在の「中群馬用水」
  @取水口・・・?前橋市総社町の駅から100m
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  A国府小学校の北の田んぼの上を通るコンクリートの水路200m
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  ●国府の諏訪神社・・・珍しい棒のある神社。安産と性病治癒祈願。
   ※室町時代の宝きょう印塔
  B国府小学校西の水路・・・
  C国府小学校の南の堰・・・・2コースへ
  D染谷川を渡る。
  E群馬町塚田方面の田んぼ・・・・イオンの東地区(元菅谷の飛行場)
  F末端部分で中部用水と合流


23)金ヶ崎堰用水&根小屋用水 ★一眼レフの時代だったので、写真なし。
 ※慶応6年〜慶応3年まで、江戸時代ずうっと。
 ・慶応6年(1601)~・・ 掘削開始。
・大正3年(?)・・・・金ヶ崎用水利組合が発足。
・昭和?・・・・・・東邦亜鉛の鉱毒問題→金ヶ崎堰・寺尾堰が合併。
・昭和36年(1961)・高崎西部土地改良区が設立。
金ヶ崎堰用水が、穴堰→トンネルの改修工事。
・昭和55年(1580)・灌漑用水&排水工事、圃場整備事業が実施。
烏川右岸からのnew金ヶ崎用水取水口&寺尾堰取水口が竣工。


24)三ツ寺の堤→旧群馬町中里へ★数十回も行っているのに 写真がない
  (高崎旧群馬町三ツ寺の堤→旧群馬町とりせん付近の田んぼ)
 ・戦国時代・三ツ寺=3つの寺  
    @今は相沢家墓地 A現三ツ寺公民館 B現布留山石上寺
   ※従って、「三ツ寺館」(国史)の呼び名は不適切である。
 ・江戸時代初期・・・この地方は保水力がなく、水利にも恵まれず、日照りによる
   凶作に苦悩していた。
 ・慶安2年(1649) 安藤対馬守重信が三ツ寺に用水路建設に協力。
   高崎藩第五代藩主・安藤重信の計らいにより、領内の農民多数動員し、
   乗附山(観音山山系)から粘土を馬で運んで堤を築き、唐沢川と中島川から取水
   して水を貯めたと(伝)。(三ツ寺堤由来碑より)
 ・明治初期・・・天王川の取水
 ・大正から昭和・・・桜やつつじを植樹。風光明媚な堤として賑わった(伝)。
 ・現在・・・新幹線トンネルの湧水を利用。一日5000万g?

 ■訪問記・・・現在のコース
 ○三ツ寺館遺跡の東100mの所に1500年代前半の相沢館?があった。
  東隣は唐沢川である。この唐沢川の北100m付近に公民館がある。
  ここも砦=寺であった。
  さらに、布留山石上寺(長野氏の菩提寺)=砦+を建設した。
  篠が多く、弓矢の生産地だった。時には、鉄砲の玉の生産地として活動した。
 @三ツ寺公園・・・訪問100回以上・・・北から説明
  ◎ソフトボール場・・・利用開始は22年9月予定・・・問い合わせはスポーツ課)
  ◎新幹線のトンネル湧水口・・・・・唐沢川の下を通って来ている。
    三国国街道の沿線の左。現在の川・堤・滝・池・噴水を潤している。   
  ○芝生・・・
  ※旧三国街道の庚申塔・道祖神・・・管理事務所西
  ○三ツ寺堤・・・ボートも浮かんでおり、人気スポット。池の鳥の管理はボランティア。
  ●管理事務所・・・・
  ●堤の歴史を書いた記念碑。・・・・
  ●布留山石上寺(長野氏の砦・・・鉄砲の玉製造?)の池・・・・
  ●芝生広場・・・親水広場・・・すべり台・ふわふわドーム(H22)などの大型遊具が設置。
  ●樹木・・・桜

 A昔はコースAコース・・堤ヶ岡小学校西の堰の脇を通って、群馬町のとりせん付近へ
       Bコース・・・・三ツ寺の公民館付近〜〜中泉の西の地区(旧三国街道沿い)
  現在のコース・堤下公園の北の一部〜〜諏訪神社=(諏訪館)〜〜遠回りして
        ?学校の堰に安藤氏のコースと違う。・・・・
  ※このBコースの井野川南の地域が大八木の地区である。・・・大日堰に隣接。


25)大日堰→高崎市大八木(中里の南邑)  
 (早瀬川・井野川合流・・・→利用・・高崎大八木の大日堰。)
 ・江戸時代初期・・・「八木邑の水田数十町歩は・・灌漑に苦しみ・・・水争いが絶えず、
   逃散(村を逃げ出すこと)が相次ぎ、・・・荒廃した里人の窮乏は極みに達す。」
   という状態だった。
 ・安藤対馬守重信に井野川よりの用水路建設を企画依頼・・・
        測量は名主:静利右衛門である。
 ・承應2年(1653) 工事開始。・・・大八木・下小鳥・浜尻・貝沢の村人が協力。
    →3ヵ年に及ぶ難工事を竣工。
    静利右衛門は「ひとえに大日如来のご加護である。」・・・大日堰と命名(伝)
 ・明暦元年(1655)  安藤対馬守重長が用水路建設を完成。
 ・昭和?・・・・・・・井野川の新取水口?   (高崎の隠居の思いつ記を参考に)
 ■訪問記・・・
  @現在の取水口?・・・・浜川運動公園・陸上競技場東の井野川取水口           
  ○浜川運動公園・・・東山道の渡り口があった。ここは「御風呂遺跡」南である。
  ○浜川運動公園東の旧群馬町福島地区・・・中島川と合流。
     長野氏時代の「大八木館」があった。(赤ちゃん本舗北西100m)
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  ○新幹線の分岐・・・長野氏時代の「大八木館」があった。      
     西から流れてくる早瀬川は井野川に合流。・・・井野川や早瀬川は結構谷が深い。
  ○「大八木の半鐘ろう」・・・・
  ○三国街道の渡し口・・・・
  ○大八木の交差点・・・・三面コンクリートの水路が多い中、石垣積みの水路である。
  A大日堰揚堰水門・・
  B大八木公民館の駐車場・・・「大日堰□□碑」。

   ・・・江戸時代の取り入れ口は妙音寺裏か?
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  Cスポーツ用品店「ふそう」付近の田に水を供給。

26)右京の「泣堀」 
 ・宝永5年(1708)高崎藩主:松平右京輝貞は榛名湖からの引水計画を開始。
 ・享保8年(1723)高崎藩主:松平右京輝貞は引水計画を再開。徳川吉宗の許可。
    でも、高崎の村同士の争いがあり、未完成に終わったという。
    ・・失敗し、「馬鹿堀」と呼ばれた。
 (榛名湖の自然観察センター→するす岩直下のトンネル水路約400m
   →箕郷松の沢→高崎長野→高崎)17〜20km?もある壮大な計画だった。
 ※群馬:榛名するす岩の「右京の泣堀」
 @村の仲間3人と榛名の「右京の泣堀」に向かった。榛名沼の原に車を停めた。
  沼の原・・・ユウスゲの最盛期。ヨツバヒヨドリ・こうりんか・オミナエシ
    ススキ・ゴマナ・マツムシソウを見ながら〜〜相馬山方面に向かった。
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まわりに、榛名富士、かもんが岳1449m、相馬山1411mが見えた。
  相馬山のするす岩は修行場であった。相馬山とするす岩の中間のするす峠に出た。
  するす峠を南に雨が降ると沢になる所を150m程下る。右に尾根が見える。
 尾根の切れた所を右に回り込む。遊歩道がある。といっても、人はめったに来ない。
  するす岩直下の塩ビパイプのある水飲み場で水を飲んだ。冷たかった。
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  この5m上が目的地だった。水は泣堀から流れ出ているものだった。
看板はチョーさんが親戚の元高崎市史編纂委員の中村先生に聞いて、
鉄板に書いた物だった。チョーさんは4回目でやっと、この冬探したという。
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享保年間・・1723年徳川吉宗の許可を得た)高崎藩主:松平右京輝貞は
引水計画を再開。でも、高崎の村同士の争いで未完成に終わった。
  「右京の泣堀」・・・高さ1m20cm。幅1m20cm。の穴。
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空気がひんやりしている。どこまで続いているのだろうか?
冬、来たときは、懐中電灯をもって、膝上までの洞窟水路を途中まで行った。」
と、チョーさん・マーちゃんは話していた。
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道のない坂道を200m程登って、するす峠に戻った。
薄暗くなった沼の原には、曇っている三日月がほほえんでいた。満足だった。
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◆江戸時代末期
29)小高用水  ・慶応4年(1868) 江戸幕府の勘定奉行・海軍奉行など歴任した小栗上野介
      忠順は倉渕の小高に用水路建設。
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★次は「群馬用水かな?」

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